「山眠る」
加 藤 高 穂
日を沈め月を遠見に阿蘇眠る
噴煙は吐息のごとし阿蘇眠る
桜島噴煙うすく眠りをる
遠い夏の日、飲料水のみを携え、阿蘇山中に一人、四泊五日の野宿をしたことがある。しかし、冬の阿蘇は知らない。ただ、神学部を卒業して三年間、鹿児島で開拓伝道を許された時期があり、四季折々、移ろい変わる桜島の景観を心から楽しませてもらった。前記の三句は、その頃の懐かしい桜島と阿蘇を想い浮かべて詠んだものである。
悠揚迫らぬ姿で噴煙をたなびかせる阿蘇と桜島は、活火山であることは言うまでもない。地底深く、地球内部でどろどろに溶けて煮え滾るマグマは、数千度にも達する。その高熱マグマが、いつ、地表を突き破り、大噴火を開始するかも知れぬのだ。ひとたび未曾有の大噴火が始まるや、威厳と光輝に満ちた美しい山は一瞬の中に崩れ去るであろう。私はそこに、小賢しい人間の思惑を超えた、厳粛な生命の躍動を覚えずにおれない。
とまれ、この拙い文章を書いているときにも、懐かしい友が召され、年賀欠礼の葉書が相次いで届いた。阿蘇、桜島ならぬ私どもも、いつ、どこで、最期を迎えるか知れないのだ。
ただ、先立ち逝かれた数多の恩師・知友・肉親ばかりでない。今を生きる方々を覚えしめられると、荒地に転がる石塊のようにちっぽけな自分が、どれだけ多くの人の恩愛に浴してきたか。また、その豊かな恩沢に与かっているかを心新たに覚えしめられる。
唯々、今も生きて働き給うイエス様の愛と慈しみに、感謝あるのみである。