「牡蠣」(かき)
加 藤 高 穂
触れ太鼓めぐる博多や冬に入る
むちむちの生身露に牡蠣焼かれ
冷たい北風が海から吹き寄せると、博多の町はすっかり冬模様となる。吹きすさぶ寒風をものともせず、薄衣をまとったチョンマゲ姿の力士が街中を闊歩する。九州場所が始まるのだ。
小学生だった頃、母校・西南学院高校のグラウンドは、校外との隔ても大らかなものだった。近所の主婦が、買い物籠をぶら下げて悠々と横切っていく。目の前の百道海水浴場に立つ海の家「ピオネ荘」は、大相撲「花籠部屋」の宿舎でもあったからだろう。運動場の一角で、若い力士がぶつかり稽古をしているのを見たりもした。
西南大ボート部時代も、そうである。陸上練習でひと息ついた折など、力自慢の若い力士が親しげに立ち寄り、バーベルを持ち上げたりしていたのを思い出す。
そんな力士たちが締込み一つの裸身に湯気をたて、汗を流す姿は真剣そのもので気安く近づけない。
それなのに、冬の美味なる焼牡蠣を連想するのは、申し訳ない限りだが、そこは平にお許し頂こう。
とにかく焼牡蠣といえば、「つくしの句会」当時、K君のお世話で、小型船舶を借りきり、コンロを囲んで親しい仲間同士、船上でビールを酌み交わしつつ食した味は忘れられない。
また、Sご夫妻から糸島富士を間近に望む牡蠣小屋で、ご馳走になったことも懐かしい。今は亡き広島の従弟から送られた殻つきの牡蠣の美味等々、牡蠣ひとつとっても、多くの方々の温かな心に包まれ、今を生かされていることに、感謝を覚えるばかりである。