「百卒長コルネリオ」ー幻ではっきり見たー
使徒行伝 第10章1~8節
加 藤 高 穂
百卒長コルネリオ
「さて、カイザリヤにコルネリオという名の人がいた。イタリヤ隊と呼ばれた部隊の百卒長で、信心深く、家族一同と共に神を敬い、民に数々の施しをなし、絶えず神に祈をしていた」(行伝10:1-2)。
地中海に面したカイザリヤは、かつてヘロデ大王が城を築き、堀を巡らし、要塞都市として生まれ変らせて、ローマ皇帝アウグストに捧げられたので「カイザリヤ」と呼ばれるようになった。 以来、地中海交通の要衝、またローマに直行便が出る大都会として栄えただけでない。ローマ総督が駐在、隊員すべてがローマ人からなる「イタリヤ隊」と呼ばれる親衛隊が駐屯していた。
コルネリオは、そのエリート部隊で、百人の兵士を統率する百卒長だった。百卒長というのは、ローマ軍の支柱となる存在である。その彼が、ローマの繁華な世界からパレスチナにやって来て、強く心惹かれたのがユダヤ教だった。
彼は会堂(シナゴーグ)礼拝に出席し、ユダヤ教の習慣を真摯に守っていた。それも家族一同と共に、神を畏れ敬っていたとある。家族・眷属に至るまで、彼の心と魂の感化が及んでいたのだ。また、民に数々の施しをなしていた。所有物は神からの賜わり物であり、自分だけの物とは思ってもいない。それが分かち合いの精神となって、民に数々の施しをして、絶えず神に祈をしていたという。
慈悲と勇気
武士道を論じた佐賀藩伝承の書『葉隠』には、湛然和尚の諭しの言葉が記されている。
「出家は、慈悲の心を表に現わし、それでいて強い勇気を貯えているというのでなかったら、仏道を究めることはできない。同様に武士は、勇気を表に現わし、心中には腹が破れるほどの大慈悲心を持っているというのでなかったら、武士としての本分を貫くことはできないものだ。
だから、出家は武士を見習って勇気を求め、武士は出家のもっている慈悲の心を求めなければならない。…(中略)…武士は武器を持っているからこそ、それを力にして敵陣へ斬り込めるのである。
出家には数珠しかない。その数珠一連で、槍・長刀の群がる中へ飛び込んで行こうというのだから、柔和だとか慈悲だとかだけでは、どうにもならない。武士に劣らない大勇気がなくては飛び込んでいくことはできないのである。…(中略)…この世に迷い出た死人を蹴倒し、また地獄の底から衆生を引きずり上げて救うなど、みな勇気がなくてはできないことだ」とある。
ともかく百卒長コルネリオは、大勇気を貯え、また大慈悲心にあふれた立派な武人だった。その誇り高いローマ軍人が、被占領国民の宗教であるユダヤ教を、熱心に信奉するようになったのである。神の御前にまかり出る時は、心底、畏れおののく態度を持っていた。こうした人士の存在は、きわめて稀なことと言える。
平家の全盛時代、平時忠は「平家一門にあらざる者は、人にして人にあらず」と高言を吐いて、驕り高ぶった姿を露呈した。だが、コルネリオには、そんな思い上がった気持などサラサラない。それどころか、民に数々の施しをしていたというのだ。彼が、如何に愛に溢れた人だったかが分かる。成り上がり者には、なかなか真似のできぬことであろう。況や、征服した国民の神様を拝むなど、普通は考えられない。
異邦人伝道の戦士
ところで、生ける主なるイエス様は、当時の世界帝国ローマに、誰を用いて、神の道を伝える突破口にされたかというと、軍人なるイタリヤ隊の百卒長コルネリオに白羽の矢を立てられたのである。
神の道を伝えるのなら、有能な宗教家を選んでこそと、思いたくもなろうが、そうはならなかった。彼らは、それぞれ宗派心があって難しい。ならば、思想界を席巻する大哲学者、大思想家を推し立ててこそと、期待したくもなろう。
だが、神の思いは違っていた。ローマ軍人の百卒長コルネリオを選ばれたのである。命令一下、「ハイ!」と答えて、自分を凌駕する方の命令を有難く拝受する。たとい死地に臨んでも、果敢に突き進む行動力。己が授かった命に、忠実に従う姿勢こそ、信仰には大事だと見ておられたのだ。
勿論、自分より高い権威といっても、間違った権威もある。それを見誤って、盲従するのは許されない。何を権威として奉っていくのか。それを確と見定める目が必要なのは、言うまでもない。「士は己を知る者の為に死す」とも言われる。人の裏も表も見通される神以外、真に自分を知り給う方はない。なればこそコルネリオは、絶えず神の御前にまかり出て、祈りを捧げていたのである
ペテロを招きなさい
「ある日の午後三時頃、神の使が彼の所に来て、『コルネリオよ』と呼ぶのを、幻ではっきり見た。彼は御使を見詰めていたが、恐ろしくなって、『主よ、何でございますか』と言った。すると御使が言った、『あなたの祈や施しは神のみ前に届いて、覚えられている。ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンという人を招きなさい。
この人は、海辺に家をもつ皮なめしシモンという者の客となっている』」(行伝10:3-6)。
中近東方面は、暑い国である。それで多くの人は、昼過ぎから三時頃まで仕事の手を休め、昼寝して過ごす。そして涼しくなる三時頃、やおら起き出でて自分の仕事にとりかかる。だが、コルネリオは、多くの人が休息する暑い最中に、いつも祈っていたのだ。
生ける神は、その熱心な祈りを、決して無視し給わない。彼がひとり、部屋で祈っていたその時である。神の使が、幻(ホラーマ)の中にありありと姿を現わし、「コルネリオよ、あなたの祈や施しは神のみ前に届いて、覚えられている」と、語りかけてきたのだ。
死地に臨んでも、物怖じしないコルネリオである。だが、突然、天来の光が射して、目眩く光の中に神の使いが姿を現わされたのだ。その驚きといったらない。それでも、気丈に天使を見つめていたが、存在の根源から突き上げてくる畏怖に襲われ、思わず知らず「主よ、何でございますか」と言葉していた。
すると、天使は「あなたの祈りや施しは、神の御前に届いている。ついては今、ヨッパに人をやって、ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい」と、神の命令だけを告げると、たちまちコルネリオの前から姿を消した。
イエス様は、コルネリオに、今に優る更に高い祝福の世界を、コルネリオに示そうとしておられるのだ。カイザリヤからヨッパまで、直線距離にして約50㌔である。コルネリオが、自ら見事な手綱捌きで愛馬を疾駆させると、何でもない距離だったろう。しかし、天使は、人をやってペテロを招けと、神の言葉を伝えると、ふいに影も形も見えなくなった。それからは、すべてコルネリオが、どうするかだけである。
御使が立ち去ると
「このお告げをした御使が立ち去った後、コルネリオは、僕二人と、部下の中で信心深い兵卒一人とを呼び、一切の事を説明して聞かせ、ヨッパへ送り出した」(行伝10:7-8)。
天使のお告げに、コルネリオは、ただちに動いた。忠実な僕二人と、部下の中で信心深い兵卒一人を呼んで、一切のことを説明。ヨッパへ送り出したのである。このような心構えの人士、それがヨーロッパ最初のキリスト者となった百卒長コルネリオだった。
更に心惹かれることは、天使はコルネリオに、ペテロという人を招けと、神の命を伝えている。天使には、私ども人間の想像を絶する能力があるだろう。しかし、神は、私どもが如何に非力な存在であろうとも、福音伝道の働きを、私ども人間に委ねておられる。そこにこそ、私どもが、それぞれ不思議な導きによって、この世から呼び出され、キリスト者の群れとしてあらしめられる役割があるのだ。そのことを覚えしめられつつ、感謝と共に歩ませて頂きたい。