第3478回 池田長喬夫人の墓地を見学する。
【岡山県赤磐市周匝【すさい】】
2024年9月2日 月曜日の投稿です。
備前岡山藩 仕置家老 片桐池田家の墓地を見学する。第6話
【前話 第3472回の続きより。】
今日のお話は、岡山県赤磐市周匝【すさい】にある
史跡、備前岡山藩 仕置き家老 片桐池田家 2万2千石の
御家老の正室の墓地を見学したお話です。
現在、史跡に指定されている東側から順番に
紹介しています。
池田長喬と書いて、「いけだながたか。」と読むのですが、
生きておられた時代をわかりやすく紹介すると、
江戸時代の元禄の頃の赤穂浪士の事件頃に生きていた人です。
その御婦人は、岡山県瀬戸内市に虫明と言う地域がありますが、
そこを3万3千石の領地を有していた、岡山藩筆頭家老の
伊木家の娘だったとされています。
つまり、筆頭家老の家から、仕置家老の家に嫁入りした
とされています。
ここがその夫人の墓地ですが、ここも以前は低い石の
門が他の墓地同様にあったのではないかと思った
のですが、現在はありませんでした。
以前は、上の対比写真のように、石の門があったようです。
石の灯篭には、
奉造進
石灯篭
波多左仲景蔵
と文字が掘ってありました。
灯篭の上の球は、凹凸で合わせるようになっていた
ようですが、台風か地震で斜めになっていました。
松院殿とあるので、松 と呼ばれていたのかも
しれません。
左右の没年が、風化して読み取りずらいですが、
享保の享と言う文字が読み取れました。
この奥方の産んだ子供は、岡山藩の各家老の家こと、
筆頭家老 伊木家 虫明 3万3千石
家老 土倉家 佐伯 1万石
の養子に入って、それぞれが当主になって行きます。
次回はそのあたりのお話を紹介する予定です。
【次回に続く。】