第3465回 備前岡山藩家老 池田長久公の墓地を見学する。
【岡山県赤磐市周匝【すさい】】
2024年8月26日 月曜日の投稿です。
岡山県赤磐市周匝【すさい】片桐池田家の墓地を見学する。第3話
今日のお話は、岡山県赤磐市周匝の史跡
周匝池田家の墓地を見学した3回目のお話です。
周匝 片桐池田家の3代目の当主の池田大学長久と言う人は、
側室の子で、2代目の当主 池田長明 公が、四国の大洲藩の
世継ぎの加藤家から正室を迎え、世継ぎとして、池田長重と言う
人がいたのですが、病死した為に、次男として世継ぎになった
そうです。
関ケ原合戦から45年後の正保二年こと、1645年に生まれ、
元禄十年こと、1697年に52才で亡くなったとされています。
赤穂浪士の松の廊下の事件の4年前に亡くなったことになります。
備前岡山藩の仕置家老として活躍した人と知られています。
百間川を造成する事業を進めたとされています。
ここの石の柵の造りも、茶室の躙り口のように
わざと高さを低くしてあります。
どうも、江戸時代のこの地方の造りの特色のようです。
灯篭の支柱も竹の表面を彫ってあるようです。
蓮の花の土台に、笠の付いた立派な墓石です。
灯篭には、波多万次郎 と名前が入っていました。
京都の仙洞御所の造営の為に、京都に長く滞在して
いたとされています。
【じゃあ みんな また 明日ね。】
【次回に続く。】