第3373回 天皇陛下の大侍従長のお話。【昭和の伝道師】 | 模型公園のブログ

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第3373回 天皇陛下の大侍従長のお話。

 

 

       2024年7月7日日曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2816話

 

 

 

 

【前話 第3360回の続きより。】

 

 

 昭和の時代の初期に天皇陛下が頼りにされていた

 

人は限られていますが、その中の1人が昭和20年の

 

敗戦の時の内閣総理大臣 鈴木貫太郎 海軍大将でした。

 

 

 

 

 

 

 海軍のトップ、海軍軍令部長を務めた後に、天皇陛下の

 

侍従長に就任し、一緒に行動することが増えて行きました。

 

侍従の役職は、ほとんど他の侍従に任せっきりで、本人は、

 

天皇陛下の御供をされていたそうです。

 

 

 

 

 

それで、御上は、何事も、

 

「鈴木。」

 

「鈴木。」

 

と、頼りにされ、宮城【きゅうじょう・戦後の皇居の事 】の

 

中では、海軍大将の侍従長なので、「大侍従長。」と当時

 

呼ばれていたそうです。

 

 

 

 

ところで、昭和四年こと、1929年3月18日月曜日に

 

内閣総理大臣官邸が現在の場所に完成しまして、その2か月

 

と少ししまして、内閣総理大臣 田中義一 陸軍大将は、

 

 

 

 

 

 

前年の5月に発生した、済南事件と、6月に発生しました

 

張作霖暗殺事件の調査を終えて報告書を作成し、関係者を

 

形だけ軽く処分して穏便に済ませるような文章を天皇陛下に

 

上奏したそうです。

 

 

 

 

上奏【じょうそう】とは、臣下が天皇陛下に許可を求める

 

文章を差し出すことを上奏と言います。

 

 

 

 

天皇陛下は、昭和四年こと、1929年6月27日木曜日に

 

手元に置かれ、文章を読まれて、不機嫌となり、裁可を

 

保留されたそうです。

 

どう言う事かと言うと、後の言い伝えでは、内閣総理大臣も

 

知らず、陸軍大臣も知らず、陸軍参謀総長も知らず、関東軍が、

 

 

 

 

 

 

日本に長年好を通じ、協力していた 張作霖 将軍を鉄道を

 

爆破して、勝手に殺害したことについて、立腹されていた

 

そうです。

 

 

 

田中内閣総理大臣の上奏文には、これらに関与していた

 

関東軍の司令官や、高級参謀などについて、ほとんど

 

お咎め無しのような軽い処分が書かれていたそうです。

 

天皇陛下は、不機嫌そうな顔をして、鈴木 貫太郎侍従長に

 

その上奏文を田中内閣総理大臣に戻すように申し付けられた

 

とされています。

 

 

 

 

 「御上の御意です。」

 

 と言って、上奏文を 田中 義一 内閣総理大臣に差し戻す

 

 役目を行った鈴木貫太郎閣下と、田中義一 閣下とのやり取り

 

 について、まったく言い伝えは残っていません。

 

 しかし、数日後、田中 義一 内閣総理大臣は責任を取って

 

 内閣総辞職に至るのです。

 

 

 

 

 

 この時、

 

 「海軍の鈴木に、陸軍の内閣が潰された。」

 

 「君側の奸 鈴木 貫太郎に天誅を加えん。」

 

 

と噂が立って、後に陸軍の軍人に鈴木閣下は命を狙われる

 

事になって行き、226事件で自宅を襲撃されることに

 

なって行ったのです。

 

 

 

【次回に続く。】