第3368回 備後国 妙顕寺の住職のお話。【小説 宇喜多興家 備前岡山の父】   | 模型公園のブログ

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第3368回 備後国 妙顕寺の住職のお話。

 

 

【脚本小説】宇喜多直家【備前岡山の父】第56話

 

 

 

 

 

【前話 第3354回の続きより。】

 

 

  現在の広島県福山市水呑町の西側の斜面の中腹に

 

妙顕寺【みょうけんじ】と言う寺院が、南北朝時代の

 

延文の頃に建立され、一乗と言う僧侶が開祖とされて

 

います。

 

ここの寺院に狐丸と言う短刀が祀られていて、ここの開祖の

 

一乗妙性上人が日本刀を作る技能を持っていて、僧侶が

 

日本刀を作って、芦田川沿いの北側にあった近くの草土庄に

 

出向いて商いを行いお寺の運営資金にしていたそうです。

 

 

 

 

 

 

ここの住職らが作刀する作品群を法華一乗【ほっけ いちじょう】

 

作と呼びます。

 

茎【なかご】に漢字の「一。」と言う文字を入れる作品で、

 

室町時代も連綿と続いて行きました。

 

漢字で、「一。」とあって、このような事情で、知識の低い

 

目の暗い人が、備前国一文字の御刀と間違えて売り買いされる

 

こともあります。

 

 

 

 

宇喜多直家と父親の宇喜多興家が備後国鞆港で暮らしていた

 

当時、これらの妙顕寺の法華と呼ばれる武具や、その周辺の

 

地域からの物資は、備後国 草土庄に集まり、商売人が住んで、

 

 

 

 

活発な商いが日々行われていたのでした。

 

 

 

 

これらの備後国の草土庄の商人達は、自分達の商売繁盛を

 

願って、町の北側に位置する明王院に五重塔を建て、

 

東側には川の中州に商人達の町が広がっていた言い伝えが

 

あります。

 

 

 

 

 

宇喜多 興家達の一行は、備後国の明王院の東側に

 

広がる草土庄【くさどのしょう】に到着し、妙顕寺の

 

僧侶などと商いを行う予定で、その一行の警護役として

 

行列の中に歩いていたのですが、どこかで聞いた事がある

 

声で、

 

 

「もし、宇喜多様。」

 

「もし、宇喜多様では。」

 

と、呼び止める声が群衆の中から聞こえて来たのでした。

 

振り返って見ると、呼び止めたのは興家の亡くなった妻の舅。

 

備前国福岡庄の阿部家の家中の者であったのです。

 

 

【次回に続く。】