第3312回 大月左太郎辰房国重のお話【小説】宇喜多直家【備前岡山の父】 | 模型公園のブログ

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第3312回 大月左太郎辰房国重のお話。

 

 

       2024年6月6日木曜日の投稿です。

 

 

【脚本小説】宇喜多直家【備前岡山の父】第52話

 

 

 

 

 

【明治時代の初頭の広島県尾道市の様子 向島から久保町方向を撮影】

 

 

 

  鞆の刀工 貞次達と、護衛の浪人の1人として加わった

 

宇喜多興家達の一行は、現在の広島県尾道市尾崎付近に船を

 

係留すると、当時の尾道の政庁であった浄土寺の近くにあった

 

 

 

 

 

 

【明治初期の山陽本線の線路が無い頃の尾道の浄土寺の様子】

 

 

 

辰房屋敷【たつみのぼうやしき】に積み荷を担いで

 

運搬したのでした。

 

船荷の中は、御存じの通り、家次や貞次の一門が作刀した

 

御刀や、槍の穂でした。

 

宇喜多興家が船荷と一緒に、お寺の建物であった辰房屋敷に

 

入ると、お寺の房から、

 

 

「おーぃ、貞次殿。」

 

 

と呼びかける声がして、男の人が近づいて来たのです。

 

声をかけられた、貞次は、

 

「左太郎殿、約定通り、品物を揃えてまいった、見て

 

御覧じろ。」

 

と、右手を船荷の方に向かって手で右から左に動かしたの

 

でした。

 

近くに立って眺めていた、宇喜多興家の方に手のひらを

 

向けて、

 

 

「あっ、そうそう、紹介いたしそうろう。」

 

と言って、宇喜多興家の事を貞次は紹介したのでした。

 

 

宇喜多 興家は、都合が悪そうな表情をして、

 

 

「七月に備前国で合戦に敗れ、貞次殿にお世話に

 

なっておりまする。」

 

 

と会釈すると、紹介された、大月左太郎なる人も、

 

恥ずかしそうな表情で、

 

 

「そうですか、それがしも同様にて、伊予国を追われ、

 

命からがら、備中国に落ち延び、今、ここで厄介に

 

なっております。」

 

「以前は、伊予国【現在の愛媛県】の河野郷の東の大月山の

 

麓に住んでおりまして、河野家の家臣でした。」

 

「命を狙われましてな。」

 

「ワッㇵッハハハハハ。」

 

「海の向こうから逃げてまいってそうろう。」

 

と、そんな挨拶を行ったのでした。

 

 

 

 

 

 岡山県真庭市北房町の水田の地に水田国重と言う刀工群や、

 

呰部【あざえ】住河野為家と名乗る刀工群の祖先は、

 

遠い室町時代に発生したとされる、岡山県井原市平井に

 

ある大月家を祖先としています。

 

 

 

 

【岡山県井原市平井の大月家周辺の様子】

 

 

 

岡山県井原市平井にある大月家のご先祖様の初代が、

 

左太郎辰房国重と言う人でした。

 

 

 

【左太郎と推測される備州辰房国重作の室町時代の作品】

 

 

初期の備後国 辰房派の作品と、初期の備後国 家次派の

 

作品と、初期の備中国荏原住国重派の日本刀の作品が共通した

 

部分があると言われている原因は、大月 左太郎の五代前の

 

当主 又七郎が、伊予国の河野家に仕官する前は、備後国鞆港の

 

家次達と一緒の刀工であったとされています。

 

 

 

 

 

彼らは、寛正の頃発生した、備中国高梁川の大洪水による

 

水害と、後に農作物が不作となり飢饉が発生し、当地の青江

 

刀工の一部は、岡山県小田郡矢掛町横谷と言う地に青江貞次を

 

祖先に持つ人々が移住し、現在に至り、青江為次を祖先とする

 

一族は、備後国鞆の後地にあった、河野家 所縁の寺の

 

本願寺の近くに河野氏を頼って移住したとされています。

 

その内の1人、又七郎と言う人が、備後国鞆から、

 

伊予国河野郷に移住し、

 

 

 

 

【愛媛県松山市大月山の風景】

 

 

その後、東側の大月山の山麓に居住し、苗字を大月【おおつき】と

 

名乗るようになって行ったとされています。

 

守護大名の河野氏の家臣でしたが、お家騒動で、命を狙われ、

 

伊予国を脱出し、海を渡って、備中国に戻り、西に流れて、

 

備中国荏原庄に住むようになり、当地の寺院の住職の紹介で、

 

尾道の辰房屋敷に弟子入りし、刀工になったと言い伝えがあります。

 

 

 

 

 

 以上のような由来で、大月左太郎辰房国重と言う元河野家の

 

家臣は、浪人した後に備後国の尾道の辰房屋敷に滞在していた

 

そうです。

 

ところでお話は元に戻って、大月左太郎の

 

 

「それがしも 同様でござる。」

 

 

 

と言うお話を聞いて、都合が悪そうな顔をしていた、

 

宇喜多興家は、大月左太郎に親近感を持ったようでした。

 

 

 

【次回に続く。】