第3288回 昭和三年に揺らぐ田中内閣のお話。【昭和の伝道師】   | 模型公園のブログ

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第3288回 昭和三年に揺らぐ田中内閣のお話。

 

 

       2024年5月26日日曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2810話

 

 

 

 

 

 

 

 

【前話 第3260回の続きより。】 

 

 

 昭和二年に日本陸軍の御用達の海運財閥であった鈴木商店が

 

経営破綻し、ここに大金を無担保で融資していた日本陸軍

 

の御用達の銀行であった台湾銀行が経営破綻し、次々と、

 

連鎖反応して、銀行や企業が破綻して行ったのです。

 

 

 

 

銀行が次々と破綻し、多くの人達が、銀行に預けていたお金

 

が紙くずとなり、大変な騒動となって行ったのが、昭和の

 

金融恐慌と呼ばれる高橋是清元総理と、田中義一陸軍大将ら

 

の計画した経済恐慌であったと言い伝えがあります。

 

 

 

 

 

 陸軍の長州閥の実力者であった、田中義一陸軍大将は、

 

満州などの軍閥、張作霖 将軍や、色んな方面で裏金を

 

作り、当時、落ち目であった高橋是清元総理大臣率いる

 

政党の立憲政友会を当時のお金で300万円とも、

 

400万円とも言われる資金で買収し、自らが政党党首に

 

 

 

 

収まり、金融恐慌のひき金を引いて、当時の三菱財閥系列の

 

若槻内閣の経済政策を批判し、内閣総辞職に追い込んで

 

行ったのでした。

 

そして、その後、自ら火をつけておいて、消しにかかって

 

行ったのです。

 

 

 

 

その後、300万円とも400万円ともいわれる資金の

 

出所の追及が野党から国会で開始されると、カギ回っていた

 

人達がいつの間にか鉄道周辺で遺体で発見されていったのです。

 

 

 

 

 

 

この鉄道周辺で次々と遺体が発見された事件と、戦後の国鉄

 

下山総裁自殺事件の共通点などから、陸軍の特務機関の仕事

 

ではないかと噂が出る原因になっていました。

 

 

 

 

 

昭和三年こと、1928年5月に発生した済南事件前後から、

 

田中内閣はその資金源を陸軍内の反対派に断たれて行った

 

ようでした。

 

 

 

 

 

 

最大の痛手は、秘密資金の出所の張作霖 将軍が鉄道を爆破され

 

日本陸軍の反対勢力に殺害されたことであったとされています。

 

これらの行為に加わっていた軍人を処罰しようとしていた当時、

 

逆に過去の裏金作りについて暴露すると脅され、強い処分が

 

出来なかったそうです。

 

 

 

 

今も昔も選挙には、大金のお金が必要でありました。

 

金が無かったら、選挙活動が出来なかったのです。

 

酒や食事を用意して、封筒を手渡して集票を依頼する

 

のが当たり前の時代、お話の講演だけでは当選できる

 

票は集まらなかったのです。

 

前年の昭和二年に配下の政友会の議員にお金を配った

 

田中義一内閣総理大臣は、翌年の昭和三年のこと、

 

1928年の5月、6月の出来事で裏金の調達が

 

難しくなって行ったようです。

 

 

 

 

 

昭和三年こと、1928年の12月、私が霞ヶ浦航空隊から

 

巡洋艦 青葉に転勤しようとしていた当時、田中ドクトリン

 

なる中国大陸を征服し、ここて゛産業を興し、国力を整え、

 

南方資源地帯を征服する構想は、一旦破綻に近い状態に

 

なって行ったのでした。

 

 

【次回に続く。】