第3126回 断られた五流尊龍院への逗留のお話。【小説 宇喜多直家【備前岡山の父】 】 | 模型公園のブログ

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第3126回 断られた五流尊龍院への逗留のお話。

 

 

       2024年3月7日木曜日の投稿です。

 

 

【脚本小説】宇喜多直家【備前岡山の父】第39話

 

 

 

 

 

【前話 第3112回の続きより。】

 

 

  天文三年こと、1534年7月1日、備前国の児島の

 

西の端にあった、林村の寺院の五流 尊龍院に到着した

 

宇喜多 興家と乳母のお春らの一行は、五流 尊龍院の住職

 

であった道乗と面会したのでした。

 

 

 

紅岸寺の住職、恵海が、

 

 

 

「昨夜、邑久郡代の島村勢と、西大寺の宇喜多国定殿の

 

軍勢が、豊原庄の砥石城の宇喜多興家様に夜討ちをかけ、

 

こちらの若殿と若君一行が城から落ちて来られ、

 

拙僧がこちらに案内してまいりました。」

 

 

 

「つきましては、道乗様の方でほとぼりが冷めるまで

 

興家様らをお匿いをお願いしたいのです。」

 

 

 

「いかがでございましょうか。」

 

 

と、五流 尊龍院の道乗住職にお伺いを立てたのです。

 

道乗住職は、無言で目を閉じ数秒考えた後にこんな

 

回答を行ったのです。

 

 

 

閉じていた目を細く開けると、

 

 

「ここは、西大寺から船でわずか半日程度の場所、領主は

 

細川家なれど、ここに匿っているのが相手に知れると、

 

相手が、ここに攻め寄せて来るに違いない、当院が焼き

 

討ちにあっても困る。」

 

 

 

 

 

「それから、「人の口に戸は建てられぬ。」と言う言葉が

 

あるように、あなた方を見かけた漁師が、金や褒美を貰おうと、

 

船に乗って西大寺に出向いて相手方に伝える者が出るやも

 

しれぬ。」

 

 

 

「宇喜多殿らを匿う話には、合力をして差し上げるが、

 

ここの院では匿えぬ。」

 

 

「あなた方の相手の手の届かぬ場所にここから移っていただこう。」

 

 

「それでよければ手を差し伸べて遣わそう。」

 

 

 

 

「ところで、恵海殿、宇喜多 能家【よしいえ】殿は、

 

その後、どうされておるのか。」

 

と、道乗住職が問うと、恵海住職は、

 

 

 

「昨夜から行方知れずでございまする。」

 

 

と回答すると、道乗住職は、

 

 

「いずれ、貴殿の紅岸寺にも、追手の一隊が到来するであろう、

 

寺を開けて留守にしておったら疑われるであろう。」

 

 

 

「今日は、宇喜多殿と、その子らを拙僧がお預かりするので、

 

貴殿は、まず、紅岸寺に急いで立ち戻り、その後、手を尽くして

 

宇喜多能家殿の消息を調べて、当院に知らせてほしい。」

 

 

 

「その間、拙僧が、どこか相手から遠い場所に宇喜多殿らを

 

匿う場所を探してしんぜようほどに。」

 

 

と言うと、道乗住職は、

 

「小さな子らがおるようじゃが、昨夜から寝ておらぬ

 

ようじゃ、しばらくの間、人に見られぬようにして、

 

当院で休んでいくが宜しかろう。」

 

 

 

 

 

と、こんなお話があって、宇喜多 興家一行は、

 

備前国児島の瀬氏の端の林村こと、現在の岡山県倉敷市林の

 

五流 尊龍院の一室で一休みすることになって行ったのでした。

 

 

 

【次回に続く。】