第3060回 町内会活動に大切な計画の共有についてのお話。  | 模型公園のブログ

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第3060回 町内会活動に大切な計画の共有についてのお話。

 

 

 

           2024年2月4日日曜日の投稿です。

 

 

2020年平島団地分裂騒動顛末記 第1182話 牛三毛猫ショボーンもやもや

 

 

 

 

 

 【明治38年【1905】連合艦隊司令部集合写真】

 

三毛猫上差し

 

 日本人に計画の共有と言う言葉が非常に大切な事であると

 

広く伝わった出来事は、ロシアのバルチック艦隊が対馬海峡に

 

攻め寄せて来て、それを日本海軍の連合艦隊が打ち破った

 

明治38年こと、1905年の日本海海戦での出来事でした。

 

 

 

 

 

みなさんで、作戦計画を共有し、みなさんが司令官になった

 

つもりで作戦の目的を共有し、臨機応変にその場、その場で

 

目的の完遂を遂げると言うことでありました。

 

 

 

 

【右から2人目 加藤友三郎連合艦隊参謀長 】

 

 

これらの作戦の共有の言葉を広めたのは、当時の連合艦隊参謀長

 

加藤友三郎さんで、後の内閣総理大臣でありました。

 

第一艦隊が、相手を逃がしても、第二艦隊が作戦を共有し、

 

臨機応変に動いて、T字戦法で相手のロシア艦隊の行く手を

 

遮って痛打を与え、相手の速度を低下させ、相手を取り逃がして

 

距離が開いてしまった第一艦隊が追い付いて、さらに壊滅的打撃

 

を加えた訳です。

 

 

 

 

      【加藤友三郎 内閣総理大臣 広島県出身】

 

 

 加藤 友三郎海軍大将は、関東大震災が発生した

 

大正12年こと1923年に、陸軍や軍産複合体と

 

言われる大手財閥が続けていたシベリア出兵を命を懸けて

 

途中で止めて、短期間で騒動を鎮定し、暴走していた陸軍を

 

撤退させた内閣総理大臣でありました。

 

そして、国家の財政破綻を防ぐ為に、軍人が、軍縮を主導し、

 

軍人のリストラを行った人でもありました。

 

 今現在の現代社会において、経済活動にしても、町内会の

 

活動にしても、いろんな価値観や性格が違う人々が大勢

 

集まる場に於いて、計画の共有は大変大切なことであります。

 

 

 

 

 

 

 2019年7月7日日曜日の午前9時過ぎ、その大切な

 

計画の共有が疎かにされた岡山県岡山市東区にある

 

ニュー平島団地132世帯の町内会長の龍備前焼爺さんに

 

よる行事が平島小学校の体育館で始まって行こうとして

 

いたのです。

 

三毛猫牛ショボーンピリピリ

 

みなさんにも、その悪い例として紹介して行きます。

 

 

 

 

【前話 第3058回の続きより。】

 

 

 みなさんで、平島小学校の体育館に入ると、行事の主催者

 

と言う事になっていた、ニュー平島団地の町内会長の

 

龍備前焼爺さんの姿は、またしても無かったのでした。

 

平島団地の町内会長の三毛猫僕が、指をさして、

 

 

三毛猫右差し「体育館の入って右側が来賓のパイプ椅子です。」

 

 

 

と語ると、

 

 

牛?「そんなことはないじゃろう。」

 

 

と語っていた、平島新町町内会78世帯の町内会長の

 

牛もやもや牛乳爺さんは、本当かと言う表情でそのまま歩いて

 

直進し、椅子の上に貼ってある自分が知らされていなかった

 

来賓の人々の名前に見入っていました。

 

自分達が知らない間に野党の岡山県議会議員を来賓で

 

招待していることに不満を漏らしていた、西平島町内会の

 

51世帯の町内会長のえームカムカお爺さんは、

 

 

えー?「ニュー平島団地の龍備前焼はどこに行ったんか。」

 

 

 

と聞くので、僕が、

 

 

三毛猫右差し「さっき、ほれ、一緒に見たでしょう、体育館に

 

入るのを見たのですが、姿が無いですね。」

 

 

と言うと、西平島町内会のえーお爺さんは、

 

 

 

えー!「あれに言わにゃーいけん、外を捜してくる。」

 

 

と言ってまた玄関の方に戻って行ったのでした。

 

当時、記憶によると、若いお姉さんが、

 

 

ひらめき?「どこに、ブースをセットしたらよいでしょうか。」

 

 

と、生協東平島団地町内会44世帯の町内会長の

 

ショボーンハッお酒爺さんに、質問をしてきたのでした。

 

 

彼が、平島小学校の体育館の玄関先で挨拶したら

 

 

ショボーンルンルン「おっ、ご苦労さん。」

 

 

 

とか、返事をしたので、ショボーンお酒爺さんが主催者と

 

勘違いしたようでした。

 

ショボーンお酒爺さんは、何も知らされていなかったので返事が

 

出来ず困惑した顔となり、

 

 

 

ショボーンアセアセ「齋藤さん、どうなっとるんか。」

 

 

と、隣に立っていた僕に聞いて来たのです。

 

隣に立っていた僕は、質問をして来た若いお姉さんに

 

 

三毛猫?「手に持っている紙を見せてみなさい。」

 

 

と声を掛け、ひらめき彼女から手に取ってさっと目を通し、

 

 

 

 

 

三毛猫右差し

 

「この絵はわかりずらいですね、舞台があそこですから、

 

あなた方が、ブースを設置するのは、南側を見て左から順番に

 

体育館の南側の壁にそって、机を並べるようになって

 

いますから、この紙の配置に沿って、作業してください。」

 

 

 

三毛猫バイバイ「L型に配置し、右側の西側は岡山市役所のブースに

 

なっていますから、その部分はスペースを開けてください。」

 

 

と言うと、若いお姉さんは、

 

 

ひらめきルンルン「わかりました。」

 

 

 

と言って、作業を開始したのでした。

 

 

 

 

生協東平島団地の町内会長のショボーンお酒爺さんと一緒に

 

立って平島小学校の体育館の中で業者の人達の

 

作業を見ていたら、後ろから来賓席の貼り紙を

 

見終わったのか、平島新町町内会の町内会長の

 

牛牛乳爺さんが近くに来られたので、

 

 

 

三毛猫?「なぁ、あそこのひらめきルンルンお姉さんが手に

 

持っている紙を見たら、岡山市役所がここに

 

ブースを出す絵があったけど、何か、龍備前焼

 

爺さんから聞いていますか。」

 

 

と質問すると、牛牛乳爺さんは、

 

 

牛?「さぁーーっ、ワシは何も聞いてないんで。」

 

 

と、そんな回答がありました。

 

それを聞いていた、生協東平島団地の町内会長は、

 

無言で顔をしかめたのでした。ショボーンもやもや

 

 

 

 

 

このような出来事から、1人で計画して、1人だけで

 

みなさんに相談せずに行事を行うと、こういう現象が

 

発生します。

 

龍備前焼爺さんだけ会ならよいのですが、平島学区連合町内会

 

などと名乗り、会の主催者の格好をしていたのですが、

 

他の町内会長13名には、相談のような、依頼を個別に

 

 

龍ルンルン「ニュー平島団地の備前焼です。」

 

龍ピリピリ「実はですね、〇●をですね。」

 

 

 

と電話をかけて来るのですが、みなさんに説明を行ったり、

 

反対の意見や、賛成の意見を言ったり、多数決を取ったり

 

そういう行為が全くない人でした。えームカムカショボーンムカムカ三毛猫牛もやもや

 

 

 

 

 

 

おそらく、ニュー平島団地の町内会長と言うことになって

 

いたのですが、ニュー平島団地の住民の人も、詳しい

 

事は一切知らされていなかったのではと推測します。

 

三毛猫上差し僕が一人暮らしのお爺さんで、マイペースな人であった

 

龍備前焼爺さんを評価するのはこう言う出来事が続いた

 

からでした。

 

そう言う行為を5月から2か月ほど続けて、一部の人から

 

苦情が発生して行ったのでした。

 

 

   

         龍ムカムカバツレッドトラムカムカ

 

 

 こう言うことが過去に続いて、平島団地の民生委員の

 

トラC2さんと話もしない人間関係になっていたようですが、

 

龍備前焼爺さんの行為を見ていて、

 

 

 

三毛猫もやもや「これでは喧嘩になるわ。」

 

 

と、当時思いました。

 

 

 

次回は、その苦情のお話を紹介する予定です。

 

 

【次回に続く。】