第3007回 備前国太鼓丸城跡を見学する。【岡山県和気町】 | 模型公園のブログ

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第3007回 備前国太鼓丸城跡を見学する。第1話

 

       【岡山県和気郡和気町】三毛猫犬ルンルン

 

       2024年1月8日月曜日の投稿です。

 

 

☆ 城跡訪問の部屋 第1話 備前国太鼓城の由来について。 

 

 

 

 

三毛猫ルンルン

 

 今日のお話は、岡山県和気郡和気町の山の頂上の

 

 太鼓丸城跡を見学したお話です。

 

 

 

 

 

 吉井川の東側にそびえる高い山が、左から天神山城跡、

 

 そして、南側の山の向こうが太鼓丸城跡と呼ばれています。

 

 訪問は2023年11月中旬の撮影です。

 

 

 

 

三毛猫上差し

 

 室町時代の戦国時代に築城された山城とされていて、

 

山の尾根にそって、南から北に延びる軍事要塞でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでですね、途中で小学生の男の子を連れた親子に

 

出会ったのですが、子供には道中、岩山などがあって

 

危険で途中で止めたと引き返して来られ、途中で座り込んで

 

2人とも、ショボーンうずまきへばっていました。

 

子供には少し無理があります。

 

それから、高齢者の人にも無理があります。

 

山に入って、途中で人を呼ぶようなことにならないように

 

自己責任ですが、迷惑をかけないように山を楽しんでください。三毛猫!

 

 

 

 

 

享禄4年と言うと、現在の大阪の摂津国の天王寺の合戦で、

 

備前国、美作国、播磨国の守護代だった浦上村宗の軍勢が

 

播磨の赤松氏の裏切りで全滅し、当主の浦上村宗が戦死し

 

ました。

 

享禄4年こと、1531年に、浦上家は、村宗の子供の

 

兄の政宗の一派と、弟の宗景の一派とに分かれてお家騒動

 

が発生し、弟の浦上宗景が、ここの太鼓丸城に播磨の室津城

 

から逃げて謀反を起こし、太鼓丸城に立て籠もりました。

 

翌年、天文元年こと1532年、浦上家の長男の政宗を

 

当主と担ぐ、西播磨の諸将が、備前国に侵攻し、三石城を

 

落とし、富田松山城【現在の備前市 市役所南側の山】を

 

包囲し、攻撃を続けました。

 

浦上 宗景は、叔父を助けるために、現在の備前市の西片上

 

に出陣しました。

 

 

 

 

合戦は、双方膠着状態となり、引き上げ、翌年の天文2年こと、

 

1533年から太鼓丸城の増築工事が始まりました。

 

 

 

 

天文5年こと、1536年 宇喜多 八郎 直家がわずか8才で、

 

ここのお城に送られてきました。

 

 

 

種子島に鉄砲が伝来したとされている、天文12年こと1543年の頃、

 

隣の天神山の山頂を崩して、城の増築が始まりました。

 

 

 

 

 

言い伝えによると、天正5年こと、1577年8月10日、

 

ここのお城で育った、宇喜多直家に攻め滅ぼされたと

 

されています。宇喜多 直家が48才の頃の出来事でした。

 

 

 

 

 この看板で予備知識をつけて、お城の跡を見学する

 

とよさそうです。

 

 

 

 

 

訪問当日は、11月と言う事で、モミジが色ついて、

 

サンゴのようできれいでした。三毛猫カメラ

 

 

 

 

 

上の写真、お爺さんが、

 

 

ゲッソリアセアセ「あぶないけぇ、途中で断念したんじゃ。」

 

 

と苦労話をお伺いしました。

 

 

三毛猫?「そんなに危ないのですか。」

 

 

と質問すると、

 

 

ゲッソリバイバイ「あーーーーっ落ちそうなかった。」

 

ゲッソリ上差し「途中で、引き返したんじゃ。」

 

 

と、こんな忠告を受けました。

 

 

【次回に続く。】