第2961回 昭和五年 陸軍岡山県特別大演習記念写真帳【古写真の部屋】 | 模型公園のブログ

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第2961回 昭和五年 陸軍岡山県特別大演習記念写真帳

 

 

       2023年12月16日 土曜日の投稿です。

 

 

          古写真の部屋 三毛猫犬ルンルン

 

 

 

 

 

三毛猫上差し

 

 今日から、昭和五年こと、1930年11月に

 

岡山県と広島県の東部で行われた、陸軍の演習の

 

古写真を少しずつ紹介して行きます。

 

古い写真には、いろんな情報が詰まっています。

 

みなさんも、岡山県の過去の写真を一緒に振り返って

 

楽しんでいただけたらと思います。三毛猫ハート

 

 

 

 

 

☆ 岡山県 奉迎歌【ほうげいのうた】について。

 

 

 昭和5年11月に天皇陛下が岡山県に行幸される

 

事が決まると、岡山県庁で、天皇陛下をお迎えする

 

為に奉迎歌が作られたそうです。

 

〇 奉迎【ほうげい】とは、

 

身分の高い、高貴な人をお迎えすると言う意味があります。

 

 

今は、忘れ去られていますが、貴重な楽譜と歌詞です。三毛猫犬ルンルン

 

 

 

 

 

 

作曲は、当時の東京音楽校で作られました。

 

 

 

 

東京音楽校とは、国立の音楽学校で格式が高い

 

東京府 下谷にあった戦前の音楽の専門の学校でした。

 

戦後は、東京芸術大学 音楽部となっています。

 

 

 

 

作詞は、岡山県の県庁で作られました。

 

天皇陛下 万歳を連呼するような歌詞となっています。

 

1度、演奏して、歌を聞いてみたいですね。

 

どんな感じの音楽の歌だったのでしょうか。三毛猫犬?

 

 

 

 

☆ 十一月十六日 吉備郡服部村長良山 野外統監部二於て

 

 

と言うタイトルの写真です。

 

戦後、78年が過ぎ、令和の時代となり、

 

写真の人物の顔を見て、どこの誰であると

 

解答やその人物に対する解説が出来る人が少なくなっています。

 

これは、時の流れで仕方のないことです。三毛猫アセアセ

 

 

       三毛猫ハート

 

それで、僕も後々の世の人達の為に、

 

わかりやすく人物の解説をつけておきます。

 

 

 

 

〇写真、左 昭和天皇こと、裕仁殿下【ひろひとでんか】です。

 

 革の手袋や、双眼鏡、冬の軍服や洋式軍刀など、興味深い

 

 写真の資料です。

 

 昭和五年の当時、29才の年齢でした。

 

 

〇写真右の人物は、西軍司令官 井上 幾太郎 陸軍大将です。

 

井上 幾太郎 と書いて、「いのうえ いくたろう。」と

 

読みます。

 

 

 

 

 

山口県 山口町出身 陸士4期卒、陸大14期卒

 

工兵出身で、要塞陣地の築城術の専門家として

 

知られ、陸軍の薩摩閥の上原 勇作 元帥の

 

右腕と言われていた人でした。

 

井上 幾太郎 陸軍大将は、日本の陸軍と海軍の

 

航空隊を分離統合し、大日本帝国 空軍を組織する

 

事をいち早く唱え、後の航空自衛隊の創設の原点の

 

パイオニアのような人物でした。 

 

当時、岡山県に東軍、広島県の福山市に西軍とに分かれて

 

演習を行うことになっていました。

 

昭和五年の当時、58才でした。

 

 

 

 

 

 

 

左の井上幾太郎陸軍大将の右側の右手を上げて

 

忙しそうに歩行中の人物が、

 

 

 

 

 

 

〇 陸軍 姫路第十師団 師団長

 

 本庄 繁 【ほんじょう しげる】陸軍中将です。

 

 兵庫県 丹波篠山市 出身 陸士9期卒 陸大19期

 

 日露戦争の為に、休学、戦後卒業扱い。 

 

 本庄 繁 陸軍中将は、兵庫県姫路市に司令部を置く、

 

 日本陸軍 第十師団の師団長で、演習では東軍の

 

 基幹部隊の指揮官でした。

 

 満州国皇帝 溥儀と、嵯峨 浩子さんが結婚される

 

 時に媒酌人をされたことでも知られています。

 

 昭和20年11月に、戦後、パージに指定され、

 

 生きて辱めを受けずと語られ、切腹自決されました。

 

 昭和五年の当時、54才でした。

 

 

 

 

写真 左から3人目の左腕に白い腕章の人物、

 

 

 

 

 

〇 陸軍参謀総長 

 

  金谷 範三【かなや はんぞう】陸軍大将

 

  大分県 豊後髙田市出身 陸士5期卒 陸大5期卒

 

  後に、満州事変で中国東北部に軍事侵攻したことでも

 

  知られています。

 

  昭和五年の当時、54才でした。

 

 

 

 

右の前にうつむき姿の人物。

 

 

 

 

 

〇 陸軍 広島第五師団 師団長

 

  寺内 寿一【てらうち ひさいち】陸軍中将 のちの元帥。

 

  山口県出身 陸士第11期卒 陸大21期卒

 

  大正時代のシベリア出兵の時の内閣総理大臣の

 

  寺内 正毅 元帥の長男で、日本の中で親子で

 

  ただ一人、元帥の子が元帥となった軍人でした。

 

  当時、西軍の基幹部隊の広島第五師団の師団長でした。

 

  昭和五年の当時、51才でした。

  

 

 

   

 ところで、この写真撮影が行われたのは、岡山県の総社市と

 

 岡山県岡山市北区の境にある服部駅の東の長良山での

 

 昭和5年【1930年】11月16日の日曜日の

 

 撮影と推測されます。

 

 

 

 

 

 現在の岡山県立大学の東の標高87,8メートルの長良山

 

 の西側の山中と思われます。

 

 写真1枚の説明に随分と文章を書いてしまいました。

 

 また、来週、続きの写真を紹介したいと思います。

 

 今後も岡山県の昔を振り返って、みなさんで過去の

 

 出来事を勉強して行きましょう。

 

 

 

 

 三毛猫 じゃあ みんな また 明日ね。ハートラブラブ

 

 

【次回に続く。】