第1900回 備前國吉岡一文字義光の屋敷跡を見学する。【岡山県岡山市東区保木】 | 模型公園のブログ

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第1900回 備前国吉岡一文字義光の屋敷跡を見学する。

 

       【岡山県岡山市東区保木】

 

 

           2022年9月7日水曜日の投稿です。

 

 

 

             三毛猫犬ラブラブ

 

 

 

 

 

三毛猫ハート

 

 今日のお話は、鎌倉時代の終わり頃の日本刀の作者、備前国義光

 

と銘を切る刀工の屋敷跡を見学したお話しで、撮影は2015年の

 

11月頃の写真です。

 

 

 

 岡山市役所の印刷物に載っている、備前吉岡一文字の刀工が

 

住んでいた場所の北側に、鍛冶屋 と言う地名があって、当時、

 

時間を作っては、刑事物のテレビ番組の聞き込みのシーンの

 

ように、現地を歩いて調査して見たのですが、数ヶ月しても、

 

あったのか、気がつかないのか、現地の人からの日本刀の

 

史跡の情報は皆無だったのです。三毛猫アセアセ

 

 

 

 

その後、万冨の東大寺の瓦工房の跡地の看板から、東に少し行った

 

谷沿いで、それらしい文章と、言い伝えを聞いて調査に出向いたのは、

 

もう、随分と寒さを感じる季節だったと思います。三毛猫アセアセ

 

 

 

 

 

ちょうど、備前長船から吉井川を北に6キロ程度上ると、

 

備前国吉岡庄に至り、そこで河原で市があったようで、

 

 

 

 二日市と言う地名と、万冨と言う地名の間に、谷が続いていて、

 

ここを上に北方向登って行きました。

 

 

 

 

 

上の地図を見ると、明治時代は、吉井川と言う川の名称でなく、

 

東大川【ひがしおおかわ】と言う名称で呼ばれていたのがわかります。

 

その前は、平安時代には、雄神川【おがみがわ】と呼ばれ、さらに

 

その前は、岡見川【おかみかわ】と、古文書に文字があります。

 

 

 

 

 

 

当時、いろんな人に聞いてまわると、保木と言う場所で、

 

奥池とは、上の写真の池だそうです。

 

 

ここの山の上から下に小川があって、 ここの谷一帯を

 

昔は義光谷と呼んでいたそうです。

 

 

 

 

 小川に添って義光谷の中を登って行きました。

 

 

 

 

 夏は、ヘビが出そうな場所で、藪の中に入るのは、

 

 冬場をお薦めします。

 

 上の写真の様な山中を山の中に入っていきます。三毛猫アセアセ

 

 

 

 

 

 

  言い伝えによると、 ここの石がある場所と、小川を挟んで、

 

少し行った場所に宅地のような場所があって、そこが屋敷跡

 

だったというのが昔の文章の場所であるとわかりました。

 

 

 

鍛冶で使う水は、ここの小川の水を使っていたのか、

 

裏付けをとるには、ここの義光谷なる場所のこの石の

 

周辺などを発掘調査して、金糞などが出土するか、しないか

 

によっても話が変わって来ると思います。

 

 

 

 

 

ここの部分が、700年近く過ぎて、雑木林になっていますが

 

刀工の屋敷跡ではと思われる場所です。  

 

 

 

 

 

 

備前國義光と銘を切る刀工は、数人いて、備州長船景光の子供が、

 

鎌倉時代の終わり頃、 備州長船義光と銘を切っていたと言い伝えが

 

あります。

 

同銘で、初代と、2代目があると言われています。

 

その刀工が、ここ備前国吉岡庄で作刀していたのか、どうなのかは

 

今の時点でよくわかっていません。

 

古い時代から、ここの沢の谷一帯を、義光谷と呼んでいて、

 

その由来は、吉岡一文字の刀工の義光が作刀していた

 

屋敷跡と伝えられています。三毛猫犬ハート

 

 

 

 

 

 

※ 注意事項です。三毛猫!!

 

ところで、つい最近、訪問したら、今現在は道路に柵がしてあって、

 

西側からは入れなくなっていました。

 

7年前は自由に出入りできたのですが、道路管理者と打ち合わせして、

 

訪問して下さい。

 

 

 

 

 三毛猫じゃあ みんな また 明日ね。ハートラブラブ

 

 

【次回に続く。】【 転載コピー自由です。】