第1889回 昭和の伝道師・若槻禮次郎内閣の総辞職。 | 模型公園のブログ

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第1889回 若槻禮次郎内閣の総辞職。

 

 

            2022年9月3日土曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のパイロットの物語】第2628話

 

 

 

 

 

 

【 前話 第1886回の続きより。】

 

 

 昭和2年こと、1927年4月15日 私達、海軍兵学校 第五十二期

 

の卒業生は、神奈川県横須賀市に当時あった、海軍砲術学校から、

 

同じ、横須賀市内にあった、海軍水雷学校に転勤し、そこで、同期の

 

2才年下の源田 實 海軍少尉の茨城県の空の上を飛行し、小学校の

 

上を飛んで、校庭に出ていた、児童から手を振ってもらったという

 

お話しを聞いていた当時、東京では政変と金融混乱が発生していたのです。

 

 

 

         【 田中 義一元陸軍大臣 山口県出身】

 

 

 陸軍の長州閥の事実上の支配者であった、田中 義一元陸軍大臣は、

 

満州の軍閥、張作霖などと連んで資金を作り、300万円とも400万円

 

とも言われる大金を持って、当時、野党に転落して不遇の立場にあって、

 

勢力が日々減少していた、立憲政友会 高橋是清 元総理大臣らに

 

現金を配って、野党 立憲政友会の総裁に就任し、当時の与党であった

 

憲政会の総裁で、内閣総理大臣 若槻禮次郎らに、揺さぶりをかけた

 

のです。

 

 

 

 

 

 与党憲政会は、田中元陸軍大臣の秘密資金問題を帝国議会にとりあげ、

 

厳しく追及し、追い込もうとしたのですが、逆に追い込まれて行ったのです。

 

 

 

 

 田中元陸軍大臣らを捜査していた、石田次席検事が変死するなど

 

の事件が次々と発生し、与野党の対立は深まって行ったのです。

 

 

 

 

 野党、立憲政友会の田中 義一 元陸軍大臣の神輿を担いでいた

 

高橋 是清元総理大臣らは、台湾銀行が、当時の財閥 鈴木商店を

 

取引停止にしたという情報をいち早く掴んで、娑婆に流して、

 

若槻 禮次郎 総理大臣らを追い込んで行ったのです。

 

 

 

 

 

 当時、世界最大の総合商社で、日本で1番の海運会社で、

 

輸送船を建造する造船所などを有して、銀行なども持っていた、

 

鈴木商店は、資金ぐりが出来なくなり、昭和2年4月5日、

 

ついに倒産したのです。

 

 

 

 

 鈴木商店と、取引していた銀行は、貸付金が回収出来なくなり、

 

今度は、銀行が倒産し、造船所が倒産し、燃料屋が倒産し、

 

倉庫会社が倒産し、と、次々連鎖倒産して行ったのです。

 

 

 

 

 

       【 片岡直温 大蔵大臣 滋賀県 出身】

 

 

 大蔵省の出身であった,若槻禮次郎総理大臣や、保険業界の経営者だった、

 

片岡 直温 大蔵大臣らは、日銀や、台湾銀行に対して、鈴木商店救済を

 

申し入れるなどしていたそうですが、その問題の台湾銀行が経営破綻し、

 

大変な混乱が発生して行ったのです。

 

 

 この出来事を、 昭和の金融恐慌 と呼びます。

 

 

 

 

 こう言う経緯で、三菱財閥の事実上の経営者の加藤 高明 内閣総理大臣

 

が1月に死去し、大正15年1月28日に成立した、元大蔵官僚の若槻 禮次郎

 

内閣総理大臣の内閣は、わずか1年2ヶ月と少しで、内閣総辞職に追い込まれ

 

て行ったのです。

 


 

 

 どうして、こう言う事になって行ったのか、それは、若槻 禮次郎 

 

内閣総理大臣は、大蔵官僚で優秀な人でしたが、自らお金を集めて、

 

憲政会の配下の議員達に、自ら現金を配って、選挙の面倒をみるような、

 

そう言う派閥のオーナーのようなダーディーな政治家ではなかったのです。

 

つまり、大蔵省の役人であったのです。

 

 

 

 

 

 大きな財閥のお金を動かして、上手に政局をコントロールしていた、

 

加藤 高明 さんは、死んでもういなかったのです。

 

それから、三菱財閥が、どんどん勢力を伸ばし、それを懸念していた

 

他の三井、住友などの財閥が、田中 義一 元陸相側について、支援した

 

のも原因であったのです。

 

特に、三井財閥は、大正時代から、鈴木と言う財閥と激しく対立して、

 

 この政局を利用して、鈴木を潰して、三菱を失脚させて行ったのです。

 

そして、三井財閥は、鈴木商店の関連会社を二足三文で吸収し、

 

財閥を大きくして行ったのです。

 

 

 

 

 いろんな人達の政治の駆け引きで、今度は,三菱財閥から、

 

内閣総理大臣の役職は、陸軍の長州閥の田中 義一 陸軍大将側

 

に転がり込んで行ったのです。

 

 

 

 

 

そして、庶民は銀行に預けていた預金が紙くずになったり、

 

勤めていた職を失ったりと、大変な目にあって行ったのです。

 

 

【次回に続く。】