第1883回 昭和の伝道師・海軍水雷学校への転勤。 | 模型公園のブログ

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第1883回 昭和の伝道師・海軍水雷学校への転勤。

 

 

             2022年9月1日木曜日の投稿です。

 

 

昭和の伝道師【戦中・戦後のバイロットの物語】第2626話

 


 

 

 

 

【 前話 第1880回の続きより。】

 

 

 

 昭和2年こと、1927年の3月は、京都府で大きな地震が発生し、

 

3,589人の人達がお亡くなりになったり、行方不明となり、

 

死亡認定されたのですが、東京渡辺銀行や、東京中野銀行なども、

 

経営破綻するなど、経済が混乱した、そんな月でしたが、翌月に

 

なりまして、私は転勤命令を受けたのです。

 

 海軍砲術学校の普通科の生徒は、そのままスライドして、

 

昭和2年4月15日付けで、海軍水雷学校へ入校するように

 

辞令を頂いたのです。

 

当時の海軍水雷学校は、どこにあったのかと言いますと、

 

神奈川県の横須賀市の長浦と言う海岸沿いに、水雷学校があった

 

のです。

 

 

 

 

当時は、早く霞ヶ浦の航空隊に転属したいと考えていて、

 

無駄な人生やと思っていたのですが、後に、雷撃隊などの

 

指揮を行う上で、その知識は生かされて行ったのです。

 

そんな当時、源田に会うと、私が希望していた,霞ヶ浦の航空隊に

 

出張で行って来たと言う話をするわけです。

 

 

 

 

そして、自慢そうに、こう言うお話しをするわけです。

 

 

 

上野駅から、常磐線と呼ばれる鉄道に乗って、土浦の霞ヶ浦

 

に行って、航空機の講習を受けた来たという訳です。

 

「貴様、こーうっ、瀬戸内海のような大きな湖があってな。」

 

とか、話をするので、

 

 

「 ほっ、本当かいな。」

 

と彼のお話に聞き入ったのです。

 

 

 

【次回に続く。】