第1876回 戦国時代の井原と山城企画展【岡山県井原市】
2022年8月30日火曜日の投稿です。
今日のお話しは、朝9時30分に広島県を出発して、岡山県井原市に
行って、無料で歴史を語り合って楽しんだお話しです。
今日は、岡山県の井原市役所の東側の建物で、
井原市文化財センターと言う場所があって、
ここで、無料の刀剣などの展示会があったので、
立ち寄ってみました。
駐車場は、
建物の東側に20台程度の駐車スペースがあり、無料です。
9月4日 今週の日曜日まで展示がしてあるそうです。
事前に、市役所の人と撮影について相談しました。
常設展の方は撮影しても良いそうです。
企画展は撮影したらダメだそうです。
館内の様子です。
企画展の方ですが、きれいに近年研いだ、瑞々しい室町時代の
井原市の刀工の作品が展示してあります。
井原市の芳井の東の山中の旧明治村付近の刀工の
銘 備中国井原住佐藤拾助國重作
の作品が、刀と、文禄頃の両刃の短刀が展示してあります。
今でも、広島県に子孫の佐藤さんがお住まいで連綿と佐藤家
は続いていますが、出所は、岡山県井原市平井の大月家と
されています。
珍しい、備中国松山城主 三村元親の注文打ちの名前の入った
両刃の備中松山打ちと鑑せられる冬広の作品が展示してあります。
三村元親と言う人は、日本で初めて火縄銃で暗殺
された人で、依頼者は、宇喜多直家だったと言い伝えが
残っています。
この三村元親の銘の入った両刃の短刀を西荏原の那須氏に
与えた短刀だそうです。
かわいい感じの岡山市役所の女子と一緒に、那須氏の領地について、
意見を求めお話しを聞きました。
ちょうど、天文の始め頃、出雲の国の尼子経久が,軍勢を率いて、
備中国の北の新見氏と同盟を結んで三村氏に迫り、三村元親は、
尼子氏の軍門に一旦下って、一緒に備中国南部を攻撃したそうです。
この当時、東荏原の伊勢氏や、鴨方の細川氏は,尼子勢と戦って
滅んだと言われていますが、詳細な資料が残っていません。
その当時、那須氏は、三村元親に合力し、西から伊勢氏を
攻めて、その恩賞として、三村元親が両刃の短刀を与えたのか、
「いゃぁ、那須殿、この度の合戦で見事な働きぶり。」
「 これを 取らす。」
と言って、 三村元親が腰に差していた短刀を那須氏に
手渡したのかーー。
色々想像して楽しみました。
当時、備中国は、尼子氏の領土となり、備後に侵攻して行くこと
になります。
みなさんも,無料ですから、近くを通ったら、立ち寄って見てください。
じゃあ、みんな また 明日ね。
【次回に続く。】【転載コピー自由です。】