第1434回 和気清麻呂公の屋敷跡を見学する。【岡山県和気町藤野】 | 模型公園のブログ

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第1434回 和気 清麻呂公の屋敷跡を見学する。【岡山県和気町藤野】

 

 

 

 

         2022年3月21日 月曜日の投稿です。

 

 

             三毛猫猫ラブラブ

 

 

 

  今日のお話は、岡山県和気町藤野にある 

 

和気 清麻呂 公の碑と屋敷跡を見学しに

 

行ったお話しです。

 

 

 

 

  猫?

 

 ◎場所は、 山陽自動車道 和気インターチェンジから、

 

北に10分程度車で行った場所にあります。

 

 インターチェンジを降りて、左折して、吉井川の橋を

 

渡って東方向に進んで少し行ったところのJR山陽本線

 

の線路沿いにあります。

 

 

 

 

 ちょっと 見えにくいですが、 ここの道路沿いの

 

看板を東に入って行きます。

 

 

 

 

  ここを 道なりに東に進むと、右側に その場所はあります。

 

 

 

 

三毛猫?

 

◎ 入場料は無料です。

 

◎ 駐車場代は無料です。

 

 

 

 

 

 和気町の案内によると、1940年に岡山県内の

 

教育関係者の寄付で造られた石碑だそうです。

 

1940年と言うと、昭和15年、太平洋戦争の

 

1年前頃で、当時は教科書に楠公と一緒に和気公が

 

載っていて、天皇陛下の忠臣の見本とされていました。

 

そんな時代に造られたそうです。三毛猫猫ハート

 

 

 和気 清麻呂【 わけのきよまろ】 公は、

 

天平5年 西暦733年生まれ、亡くなったのは、

 

延暦18年2月21日 67才で死去したと

 

伝えられています。

 

 歴史は、勝者によって作られるので、本当の事は

 

わかりません。

 

 

 

 

 奈良県の東大寺の大仏殿を造営したのは、聖武天皇と

 

されています。

 

この人に、男の跡継ぎがおらず、女性の 称徳天皇 

 

という人が即位しました。

 

この称徳天皇の事実婚の男が、弓削 道鏡【ゆげのどうきょう】

 

と言う人でした。

 

当時、天皇は飾りで、政治は、藤原仲麻呂一族が幅をきかせて

 

いたそうです。

 

 これを改め、天皇の親政を行おうと、女性天皇の称徳天皇は

 

考え、道鏡らを使って、藤原仲麻呂一派を殺害し、政治を自ら

 

行おうとしていたようです。

 

 藤原仲麻呂の乱の後、称徳天皇と道鏡達の天下となり、藤原一族

 

は朝廷の政事からつまはじきになっていたようです。

 

 

 

 

 

 その後、称徳天皇は、上皇となり、 道鏡を天皇に

 

しようとして、今日紹介する和気清麻呂公が、称徳天皇に

 

呼び出され、大分県の宇佐八幡宮にお告げを聞いて

 

来るように命じられたのだそうです。

 

 その数ヶ月後、 道鏡達に都合の良いお告げを奏上

 

しなかったとかで、名前を

 

 

 「 別部 きたな麻呂。」

 

 

と、改名を命じられ、九州の大隅半島へ流罪になった

 

と言う言い伝えがあります。 

 

 こういう出来事が西暦770年頃にあって、

 

 

「 女が天皇に即位すると、坊主を好きになり、

 

世の中が乱れ、皇室の系統が乱れる。」

 

 

と言う、言い伝えが出来て、その後、女子が天皇に即位する

 

ことは禁止となったと言い伝えがあります。

 

 但し、見方を変えると、道鏡と言う人は、政治の実権を

 

藤原氏から奪い、天皇の親政を行おうとしていただけと

 

言う見方もあります。

 

 

 

 

 

 

周囲は、こんな感じに 広々とした 駐車場のような場所で、

 

南側には山陽本線の線路がある場所です。

 

 

 

 

 

   少し歩くともう一つ石碑がありました。

 

 

 

 

ここの石碑の近くが、天平の頃、豪族 和気氏の館があったようです。

 

どんな建物だったのかはわかりません。三毛猫?

 

 

 

 

当時、この三方の山々に囲まれた地域が、朝廷の官営地で、

 

和気氏は、その地域の代官のような仕事を行っていたよう

 

です。

 

 ここを見て、進路を北にとって、進んで行きました。

 

 

 

 

      三毛猫  じゃあ みんな また 今度ね。ハートラブラブ

 

 

 

【 次回に続く。】 【 転載コピー自由です。】