第449回 西日本豪雨水害 航空母艦 加賀の艦長 岡田次作 海軍大佐の顔写真 模型公園 | 模型公園のブログ

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第449回 西日本豪雨水害 航空母艦 加賀の艦長 岡田次作 海軍大佐の顔写真。

 

 

                 2020年11月17日火曜日の投稿です。

 

 

 

           2020年 平島団地分裂騒動顛末記 147 三毛猫ラブラブ

 

 

 

 

 

 2018年7月7日土曜日に発生した西日本豪雨水害から27日後の同年

 

 8月3日金曜日岡山県岡山市東区平島団地のお話しを少しずつ

 

紹介しています。三毛猫ハート

 

 

 

 

【前話の続きより。】

 

 西日本豪雨水害から2年経って、当時のその後の記録を見ると、A6子さんに

 

見られたらまずい水害で沈んだ本が見つかってしまい、恥ずかしい思いをした

 

その翌日、岡山市役所の幹部の人が午後になったらおこしになるというので、

 

午前中はやはり水害の書物の後片付けをしていたことになっています。

 

 

 

 

 

 当時1000点以上の書物を持込み、西側の水田を見ながら本でも見て、

 

くつろごうと考えていたのですが、その考えは残念な事にもろくも崩れ去って

 

いったのです。三毛猫アセアセ

 

それは、何故かというと、水田の近くで、蚊が多く、 外で本など見ていると、

 

蚊にやられてしまい、本を読むどころではないのです。

 

 

 

 

 そんな事情で、本を段ボールにビニールで梱包して、番号を付けて保管して

 

いたところに、2018年7月7日土曜日の水害が発生したわけです。

 

窓を当時施錠して、午前2時頃、退去避難したのですが、床の下から泥水が

 

浸水したようです。

 

下の段ボールが泥水で形が崩れて、その上の段ボールが崩れて、さらに被害が

 

拡大していったようです。三毛猫!!

 

そういう 被災した過去の貴重な資料がなんとか残せないかと考えて当時、

 

乾かしてみたり、タオルで拭いてみたりと、いろいろかんかん照りの夏の暑い

 

中、苦闘していた記録が残っています。

 

 

          

 

 

 ところで 今日のお話は、昭和の戦後から6年前まで、1942年の

 

6月5日のミッドウェイ作戦の日本海軍の4隻の航空母艦 赤城と、加賀と、

 

蒼龍と、飛龍の当時の艦長の顔写真ですが、航空母艦 加賀の艦長 

 

岡田 次作 海軍大佐の顔写真だけ長く不明であったのです。

 

2014年6月20日に 僕が世に紹介したのが 下の写真です。三毛猫ルンルン

 

 

 

 

 

 

 世の中に、おそらく1枚であったであろうこの写真を入れていた箱も水害の

 

被害を受けたのです。

 

現在、ウキペディアに この写真を合成して、感じよく仕上げた写真が掲示されて

 

います。

 

下の軍服は、他の合わせと思いますが、左胸に勲章をぶら下げた、そんな感じの

 

よい写真に仕上がり、どこの方かわかりませんが、お亡くなりになった故人も

 

きっと喜んでいただけるような仕上げの写真となっていて、ご本人に替わって

 

誌面を通じてお礼申し上げます。

 

この写真の出所の由来を紹介すると、当時の第1航空戦隊の 

 

参謀長 草鹿 龍之介海軍少将の【後の連合艦隊 参謀長 海軍中将】の

 

持ち物でした。

 

長く、大阪の阿倍野の家にあった品で、世の中の人から忘れ去られていた

 

のです。

 

つまり、この写真の顔を見て、 航空母艦 加賀の最後の艦長 岡田 次作 

 

海軍大佐とわかる人が今までいなかったのです。

 

 

 

 

この写真、海軍少佐の頃の写真ですが、当時、なんとか助からないかと、

 

いろいろやりました。

 

他にも いろいろ所蔵していて、時々、ご親族から連絡があって、コピーをして

 

さし上げたり、当時そんな活動をしていたのです。

 

 

 

 

 こうして、8月のかんかん照りの暑い中、門のところでたしか古い資料を

 

乾かしていたら、岡山市役所の人達がやってこられたのです。

 

たしか 当時、2人で来られたと思います。

 

2人がやって来て、質問したのが、「たくさん古い本があるのですね。」と、

 

問われたのです。

 

 

【 次回に続く。】 【 転載、コピー自由です。】