天安門事件から20年。
依然、支那本土ではタブーとされてるんだってさ。
私は戦後の、日の本の国で生まれ育ったのでね、「ゆゆしき」と感じていた。
けれど最近は考えが覆ったよ。「それでこそ中共」。
共産党を支持してるわけではないぜ。支那の独裁政党が共産党である『事実』をまず直視刮目しなければならないと思ったのだ。
(テンアンモンが直接変換されるのに、カツモクが変換されないのはどうしてなんだぜ)
共産党の前でいたずらに「民主主義」の旗を振りまくったってどうにもならない。それは現状を結果として見れば明らか。
中共の立場に立って、中共の目線に合わせてはじめて中共と「民主主義」について話ができると思うのだけどね。そんな機会ないけどね。
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去年の暮れまでは、「最近の若い者は」って言っていれば、そこそこの仕事があって地位も収入もあった。
ところが現在は市場が急速に縮小し、「最近の若い者」も相手に商売しなければならない状況にある。
極端な例ではあるけれど、ブログ書きの末席を拝するものとして述べさせていただく。
「ケータイ小説」を罵倒するのは簡単であるが、「ケータイ小説読者」を取り込むのは難しいのである。
どうしたら「ケータイ小説読者」に志賀直哉を読んでもらえるか、そういうことを考えることが必要になってくるのだ。
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若者の自動車離れの一因に「いつかはクラウン」式商売がある。
「いつかはクラウン」と宣伝していれば車が売れる時代があった。
どんな車でも売れるため、トヨタはいい加減な車を作っては売り、肥大した。
『運転は楽しい』という重要なことを無視してきたため、『楽しい車』がカタログからなくなった。
やがて、運転は「できればしたくないもの」にパラダイムシフトし、現在に至る。
現在とは、車を所有することが「高くつく」とか「環境と共存しない」と結びつく悲惨な現在である。
自動車の本質が移動手段であることはさておき、付加価値として『運転が楽しいこと』であると分かってもらえなければ、市場の縮小は止まらない。
そのためには何をしましょうかね。まず試しに『運転が楽しい一台』を開発してみてはいかがでしょうか、トヨタさん。
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「いつかはクラウン」式思考を捨てて、客層じゃなかった客層の目線に立たなければ商売が成り立たなくなる。
あるべき商売とは、当たり前だけど、客の立場に立った商売である。
というのが私の予想であるが、私の予想はことごとくはずれるため、絶対に参考にしないでいただきたい。