スマホもない、パソコンもない、あるのは新聞と折り込み広告だけ…


演歌の歌詞ではないけれど、そんな時代の求人広告と言えば新聞の求人欄と折り込み広告に紛れて登場する『紙』が主流だった頃のこと

アルバイトやパートを急募する店頭には張り紙があったが、これも『紙』


みね子さんは、超亭主関白な夫に隠れて内職をしていたけれど、隙あらば働きに出よう!と 虎視眈々と狙っていたのだろうか?

毎日、新聞の求人欄を見るのが『趣味』かと思うくらい、飽きることなく読んでいた


本格的に仕事をしようと思いたち就活(今風に言うと)を始めたのは50歳目前の頃だった

「ここはアカンな、しょっちゅう求人してる。条件はエエのに入ってすぐに辞めるんやな たぶん。仕事がキツイか、経営者が横暴か、いけずする人が居てるか、とにかくやめとこ」

誰に聞かれたわけでもないのに、ひとり 新聞の求人欄に喋ってる


資格があるわけでもなく、キャリアがあるわけでもなく、50歳に手が届くような年齢で、仕事探しをしているみね子さん

編み物はプロ級だったけれど…


みね子さんの娘は不思議だった

「なんで?今さら?その年で?」と聞きたかったけれど、本格的に就活を始めたみね子さんは とっても楽しそうだった


「事務職は年齢制限あるわ、断られるなぁ」

「あ!ゴボウのささがきする人募集やて、料理好きやから行ってみよ」

「お掃除好きやから ここでもええなぁ」

「お皿洗うのも好きやけど、接客もありなんてゴメンやわ」

「ここ、先月も載ってたで。時給上がってるなぁ。人が来えへんのか、辞めたんかいなぁ」


まあ、毎日楽しそうに求人欄に話しかけて、何ヵ所にも電話して、ウキウキ面接に行っていた

みね子さんの娘は思った、仕事に行くことよりも、面接と称して出歩くことを楽しんでるみたいだと


半年ほどたった頃だったと思う

みね子さんは 紳士服の裏地を専門に扱う問屋さんの事務員さんとして めでたく採用された

予想外だったのは引き継ぎの人の意地悪があったこと

そんなことにはめげずに頑張った話は このブログでご披露済み


5年ほど働いたその店舗は、倒産という形で閉店となり、みね子さんの事務員生活は幕を閉じることになるが、求人欄を読み解く力は確かだったと思う