操縦を外部に握られている状況証拠
修正(24.6/25)


1985-8/15「操縦不能」
5回も反復(朝日新聞)より

1回目 伊豆半島北上時、駿河湾に
出て仕舞い、アンネイブルコント
ロールを通報し、トランスポンダ
ーをオフにする。

「あーあーあー」(CAP)
「これは駄目かも分からんね」(CAP)

相模湖を越え横田APCと交信
した後、左旋回させられて仕舞う。

2回目 日の出町でライトターンして、
横田基地の、北側KATANAポイント
上空を、3000フィートでライトターン
して、進入の予定でしたが、機体を右に
傾けられず、操縦不能を叫ぶ事になります。

「操縦不能になった」

3回目 榊原 幹制作スタッフが、青梅街道の
青梅駅の上空を北北西に飛ぶ123便を目撃。

日の出町から入間基地の上を通り、所沢を
抜け、東武線を北西に向けて、横田基地の
北西青梅市から二度の右旋回(Uターン)を
経て、横田基地の北側から横田基地の滑走
路に進入するコースで、三度目の着陸を目
指します。

リモートコントロールにより、北北西へ飛べず
、西南に飛び操縦不能と連絡真相でその尽、青
梅駅の上空に出て仕舞ったと推察されます。

「東南東より西北西の御岳山の方へ」
多摩郡日の出町細尾の北島 清司氏(53)

「現在コントロール出来ますか?」(ACC)
「操縦不能です」(JAL123)
「了解」(ACC)
「ちょっとどうなるかねぇ」 (CAP)
「はい」 (COP)

4回目 西多摩郡の奥多摩町日原。


「レーダーによると、この時までに飛行機は

向きを変え、S字型のルートに沿って北に

進み、陸地を通過していた」


1985年8月13日 ワシントン・ポスト紙


北に向かうと言うより、大右旋回し

一気に横田基地に戻ろうとしていた

のですが、阻まれます。


18:50:54 JAL123便は、東京ACC 
と交信を開始する。 
(リモートコントロールに因る 
フラップ操縦で急降下状況に陥る)
18:50:58「うあっ…大変だっ」 
 JAL123 
18:51:00 各種警報装置が一斉作動 
「現在コントロール出来ますか?」
  ACC 
「アンコントローラブルです。
アー操縦不能」 
 JAL123
JAL123 高度 2987m(9800フィート)
速度 351.8km/h(190ノット)

5回目 川上村のレタス畑不時着体制時。

甲武信ヶ岳の北の峰、三宝山から 長野県に
入り、五郎山を掠め、 千曲川に沿って進み、
キャベツ畑に 不時着を試み、機体が下がら
ず、 上昇して、川上第二小学校、扇平山を 
右旋回で躱して、三国山から、急な左旋回 
をさせられており、機内では失神者が続出
します。

南相木村方面に、向かって急降下させられ、
異常な程、低空飛行させられ、稜線以下に
高度を下げさられて、川上村から住民の目
撃者を無くさせ、第4エンジンを破壊され
ています。

S字飛行

18:54 峰岡•横田基地、東京管制部レーダー
から123便消失。(低空飛行に因る機影消失)
機体が下がらず不時着不可能で、叫ぶ。



御巣鷹山の尾根の表土は、実は黒いのです。

何故真っ赤なのでしょう?


1985-8/15「操縦不能」5回も反復
(朝日新聞)より