2024年5月2日


京都生活(仕事の話です)もいよいよ残り一ヶ月をきりましたびっくりアセアセアセアセアセアセ

ってな訳で……………ココロのひとり京都勉強会、略して『京勉会』シリーズ………通算26回目は岡崎編だ上差し電車ランニングダッシュアセアセ

まず始めに到着したひとつめの目的地は………………


【熊野神社(くまのじんじゃ)神社
京都府京都市左京区聖護院山王町43


京都三熊野』のひとつ上差し

地名を冠して『京都熊野神社神社』とも称される。

この京都生活の2年の間に『京都三熊野』のうち、すでにふたつは参拝お願いお願いを済ませている上差しウインク

その他のふたつは………………

①【熊野若王子神社神社
②【新熊野神社神社

すなわち、今回の参拝お願いで『京都三熊野』を制覇することとなるわけだ上差しウインクお祝い


創建は、弘仁2年(811年)に修験道の日圓が国家護持のために紀伊国熊野から熊野大神を勧請したのに始まる。

熊野詣お願いを度々行っていた白河上皇は、すぐ近くにある熊野として、ここ【熊野神社神社】も厚く崇敬していたという。


寛治4年(1909年)、上皇は【園城寺】の増誉を熊野三山検校に補任し、増誉を開山として【熊野神社神社】の北東に【聖護院】を創建させ、【熊野神社神社】はその鎮守社とされた。


また、【熊野神社神社】の周りから【聖護院】にかけて大きな森があったが、以降この森は『聖護院の森』といわれるようになった。


【狛犬犬


平安時代末期には、これまた熊野詣お願いを度々行っていた後白河法皇によって、【熊野神社神社】は熊野から持ってきた土や樹木によって整備されたという。


主祭神
伊弉冉尊

伊弉諾尊

天照大神

速玉男尊

事解男尊



応永3年(1396年)には室町幕府第3代将軍足利義満から広大な社地を寄進され、その境内は西は鴨川に至る広大なものであった。

歴代天皇からも崇敬されていたが、「応仁の乱カブトナイフ」により社殿が焼失し、衰退したえーんアセアセ

江戸時代の寛文6年(1666年代)、聖護院宮道寛法親王により再興された。


【八ツ橋発祥之地 石碑】

んっ!?!?!?!?

何だ!?!?!?!?


聖護院八ツ橋

好きラブ


【西尾為治 像】

京都の銘菓である「八ツ橋」の中興の祖であるという。平安遷都1200年記念により建立された。


【社務所】

こちら上差しカメラで御朱印が頂けるウインク


京都では節分の日に、【熊野神社神社】から「火の用心」のお札を受ける風習があるという。


御朱印頂きました上差しカメラ
もちろん!!初となるお祝い

やはり、八咫烏が上差しカメラ


天保6年(1835年)に大修理が行われているが、現在の【本殿】はこの時に【賀茂御祖神社(下鴨神社)神社】の【本殿】を移築したものであるという。


大正元年(1912年)の京都市電丸太町線の開通、次いで大正15年(1926年)の東大路通の拡幅によって境内は狭くなってしまったえーんアセアセ

境内には大小の神輿があるが、大きい神輿は光格天皇による寄進だという………………。

さてさて、ココロは【熊野神社神社】すぐとなりにある場所に立ち寄る事とした…………ランニングアセアセダッシュ



続く……………………。