さてさて………………

我々が【餃子の王将発祥の地】から徒歩5分程で到着したのは………………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ


こちらも、【六角堂頂法寺】同様2018年11月24日以来、約5年ぶり2回目の参詣となる………………お願いお願い


前回の初参詣お願いの様子は、こちらのココロ過去ブログから上差しウインク


【圓城寺(三井寺)】の僧快賢が、正暦2年(991年)に自身の母のために定朝作の地蔵菩薩像を本尊として五条坊門壬生(現:壬生寺の東方)の地に寺院を建立した。

承暦年間(1077年〜1080年)に白河天皇の行幸があり、この際に地蔵院の寺号を賜ったといわれる。


建暦3年(1213年)、信者であった平宗平によって現在地に移される。しかし、正嘉元年(1257年)2月に火災炎によって、すべての伽藍を焼失したえーんアセアセ

正元元年(1259年)、平宗平の子である平政平と律宗の僧で融通念仏も行っていた円覚上人によって復興され、寺名を「宝幢三昧寺」とし、以来律宗の寺院となった。

また、次第に寺名は地名から【壬生寺】とも呼ばれるようになっていく。


【一夜天神神社


受験生の娘ふたりを持つココロは、もちろんしっかり手を合わせたお願い




江戸時代後期の幕末には、京都の治安維持を目的に活動した『新選組(当初は壬生浪士組といった)』の本拠地である屯所が壬生村の【八木邸(壬生寺の北側)】に置かれた。


屯所が【西本願寺】に移転してからも【壬生寺】境内は引き続きて『新選組』の兵法調練場ナイフに使われ、武芸などの訓練が行われた。


【阿弥陀堂】にて拝観料コインたちを納め、【壬生塚】へ…………ランニングランニングランニングランニングアセアセダッシュ

おっ!!!!びっくり


開運ラッキードラゴン龍

カウントさせて頂きます龍龍龍龍龍龍龍龍


【『あゝ新撰組』の歌碑】
平成11年(1999年)に有志が建立。

歌碑横にあるボタン上差しカメラを押すと3番まで聴くことが出来る口笛


そして!!!!

約5年ぶりの再会となる【近藤勇像】がその奥にある。


【近藤勇(こんどういさみ)】
1834年ー1868年

江戸時代末期の武士。
新選組局長。


【近藤勇之像】

後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。
天然理心流四代目宗家。


慶応4年(明治元年/1868年)4月3日、近藤勇は捕縛される。

大久保大和と変名をしていたが、近藤を知る者が政府軍側におり、そのため総督府が置かれた板橋寄まで連行され連日取り調べが行われた。

近藤大久保の名を貫き通したが、元隊士で伊東甲子太郎率いる御陵衛士だった加納鷲雄清原清近藤であると看破され、結局捕縛された。

その後、土佐藩(谷千城)と薩摩藩との間で、近藤の処遇をめぐり対立が生じたが、結局土佐藩が押し切り、慶応4年(1868年)4月25日、仲仙道板橋宿近くの板橋刑場で横倉喜三次石原甚五郎によって斬首されたガーン

享年35。

首は三条河原で梟首されたガーン


しかし、その後の近藤勇の首の行方は正式には確定されていないというびっくりアセアセアセアセアセアセ



続く…………………。