宮城県の端っこ第3弾は南端です。宮城手帳2025では北緯37度46分24秒(東経は140度47分34秒)です。国土地理院のホームページで場所を探します。丸森町筆甫(ひっぽ)の南にあるちょうど盲腸のように細長く突き出た部分にあります。なぜこんな形なのでしょうか?気になります。
仙台方面からは丸森町の筆甫集落を経て南下するのが最短ですが、道が狭く令和元年の台風被害の復興工事のための工事車両が行き交うことから、ここは遠回りですが、国道113号線で福島県新地町を経由して向かいます。
新地町との境の手前には民謡歌手・鈴木正夫の生家があり、その前に民謡碑があります。鈴木正夫(1900~1961)は丸森町出身の民謡歌手で1951年(昭和26)第1回紅白歌合戦から第7回にかけて5回出場し「常磐炭坑節」「新相馬節」「相馬盆唄」などを歌いました。丸森町大内では彼の偉業を記念して毎年「新相馬節全国大会」が開催されています。
(鈴木正夫民謡碑)
丸森町と新地町との境にカントリーサインがありました。新地町側は福島県と新地町を示す看板ですが、丸森町側は蔵のような建物です。町の中心部にある齋理屋敷の蔵をイメージしているようです。
(国道113号線のカントリーサイン。手前の標柱は福島県)
新地町では常磐道沿いを南下し、相馬市で国道115号線を西に進みます。山間を流れる宇多川沿いを登っていくと、宇多川と玉野川の合流点があり、国道は玉野川沿いを登っていきます。途中右側に玉野川に架かる橋があり、それより先は宮城県です。その橋で北緯37度46分45秒です。もう少しで南端のようです。国道115号をそのまま西進すると別の橋「けやき橋」がありました。
(国道115号のけやき橋)
この橋のたもとの駐車場で37度46分25秒です。この橋の西の方向の尾根沿いにある標高564.8m三角点あたりが宮城県の最南端のようです。宮城県地図で盲腸のような形なのは、この玉野川と宇多川の間の峰の北側を宮城県としたためと考えられます。
(国道115号線から見た玉野川沿いの尾根)
(宮城県側への入り口)
先ほどの橋まで戻って宮城県側に入ります。
(採石場)
南側に大きな採石場が見えてきました。ここは丸森町筆甫下南山地区です。人家もありました。ここから筆甫地区の中心部を目指し宇多川沿いを北上します。この宇多川の北側にある山の南斜面は福島県相馬市になります。福島県側が宮城県側に入り込んでいる部分です。
(松ヶ房ダム:宇多川湖)
上流部に行くと松ヶ房ダム(愛称:宇多川湖)があります。農業用のロックフィルダムで相馬市や新地町の水田に水を供給しています。このダムの堤体の途中や宇多川湖の中に県境があります。
(筆甫のバス停)
ダムを後にして山間地の狭い道を筆甫の中心に向かいます。途中、トトロが出てきそうなバス停がありましたが、時刻表に時刻が記載されていません。走っているのかいないのか謎です。
(筆甫の分岐点。右は丸森町中心部へ。左は伊達市へ)
筆甫の中心部にやって来ました。のどかな風景が広がっています。「ひっぽ、2歩、散歩」の看板に心が和みます。
(伊達市との境)
ここから伊達市方面と旗巻峠方面への道それぞれの県境まで行ってみました。まずは伊達市方面。県道102号平松梁川線を西へ進みます。森の中を走りちょうど松坂峠周辺に県境がありました。ここで北緯37度50分38秒です。国道113号線と同様のカントリーサインがありました。
(旗巻古戦場への入り口)
筆甫中心部に戻り、丸森町営牧場脇を抜けて大内青葉地区から県道228号相馬大内線で旗巻峠を越えます。この旗巻峠は戊辰戦争で仙台藩と新政府軍が仙台領をめぐって直接対決した場所です。仙台藩は相馬側から攻めてくる新政府軍に対して砲台を築き大砲で応戦しますが奮闘むなしく陥落、この敗戦で仙台藩は降伏へと舵を切ります。
(旗巻峠戊辰戦跡)
(細谷十太夫揮毫「旗巻古戦場之碑」)
この古戦場には砲塁台跡や藩士の戦死塚、戊辰戦争で活躍したからす組隊長細谷十太夫が揮毫した記念碑などが建てられています。
(旗巻峠)
その旗巻峠は北緯37度49分40秒。県境にはゲートが設けられていますが、有事の際に宮城県が敵の進軍を止めるためではありません。連続雨量が150㎜を超え通行が危険な場合に閉じるようです。
宮城県の最南端は心が穏やかになる里山と歴史のターニングポイントがある場所でした。














