いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

  難関ご当地検定として知られる宮城マスター検定1級の合格者で作る「いっきゅう会」のメンバーが、宮城の魅力をお伝えします!

 「ムツゴロウさん」こと畑正憲さん(1935~2023)と宮城県について紹介します。

 畑正憲さんはテレビ番組「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」の中で独特なスキンシップで野生動物と仲良くなる姿が印象的な人でした。その様子を真似る芸能人もいたぐらいです。しかし、畑さんはタレントではありません。1986年(昭和61)に公開され750万人の観客動員数を記録した「子猫物語」では脚本・監督を務めましたが、映画監督でもありません。本業は小説やエッセイ、ルポージュなどを書いた作家です。
 学習研究社在職中の1967年(昭和42)に「われら動物みな兄弟」を刊行、これが日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したことをきっかけに退社し、本格的に作家活動に入ります。畑さんの作品は動物の観察や実体験をベースにした作品が多く、生息地に赴いて観察したことを記した「天然記念物の動物たちシリーズ」、ヒグマの子を無人島で育てた体験を記した「どんべえ物語」などがあります。また「ムツゴロウの青春記」「ムツゴロウの無人島記」などのムツゴロウシリーズは昭和から平成に至るまでの自伝的なエッセイで、その軽妙な文章は多くの方々に親しまれました。


 畑さんは1972年(昭和47)に刊行された「天然記念物の動物たち」で加美町にある魚取沼(ゆとりぬま)のテツギョを取材しています。あとがきに記載されている取材時期が1968年(昭和43)初夏から翌年1969年(昭和44)の夏とあり、本文の様子からどちらかの夏に訪れているようです。仙台からタクシーで中新田町(現加美町中新田)に向かい営林署で入山許可をもらい、鍋越峠に向かう中羽前街道(国道347号線)を歩き、近くの集落で一泊したのち、魚取沼を訪れています。フナのようで金魚のような長いひれを持つテツギョは、フナから金魚へ変化する途中の種とも、金魚とフナの交雑種ともいわれていますが、魚取沼の場合はフナから金魚へ変化する途中のテツギョではないかと畑さんは述べています。実際にテツギョが群游する魚取沼に潜って観察し、野性味あふれるテツギョの姿を見るという体験に裏打ちされた話は実に説得力があります。

  (ブナに囲まれた魚取沼(夏))

  (魚取沼(秋))

  (テツギョ) (※以上写真3点 宮城県自然保護課HPより)

 また、畑さんは東京大学大学院時代の1960年(昭和35)晩秋とおぼしき頃に岩沼市(当時岩沼町)を訪れています。学生結婚した幼馴染の奥様と貧困生活を送る中、研究も文筆業も行き詰まり、北への放浪の旅に出ます。この時の様子が1979年(昭和54)刊行の「ムツゴロウの放浪記」に記されています。

 りんごの木の下で睡眠薬を飲んで死にたいと、上野を真夜中に発車する急行列車に乗って青森に行く途中、気まぐれから岩沼駅に降り立ちます。仮の宿を決め阿武隈川のほとりで一晩を過ごしますが、死にきれず宿に戻り事情を話すと宿のおかみさんから励まされ、お金を渡されて東京に戻っています。人情味あふれる宿のおかみさんの行動はいかにも東北人らしいのですが、もし畑さんが岩沼に降りていなかったら、宿の人たちの温かみに触れていなかったら、その後の作品や動物王国はなかったかもしれません。畑さんにとって岩沼は人生のターニングポイントだったのではないでしょうか。天国の畑さんに聞いてみたい気がします。

  (岩沼市付近の阿武隈川河川敷)

 

(執筆:斗田浜 仁)