いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

いっきゅう会がゆく~宮城マスター検定1級合格者のブログ~

  難関ご当地検定として知られる宮城マスター検定1級の合格者で作る「いっきゅう会」のメンバーが、宮城の魅力をお伝えします!

 7月20日、いっきゅう会の研修会を開催しました。

 酷暑の街歩きは厳しいということで、今回は座学です。

 現在開催中(7/69/23)の東北歴史博物館特別展『和食 日本の自然、人々の知恵』の記念講演会において、当会会長の佐藤敏悦さんが講師をされるということで、会のみんなで受講しようという企画です。

  東北歴史博物館

 講演会の前に、まずは展示を楽しみました。

 この特別展は、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されて10年という節目に、身近なようで意外と知らない和食の世界を学ぼうという催しです。

 展示は大きく2つの柱で構成されている感じがしました。(筆者の感想です。)

 1つは、食材の種類やルーツ、発酵のメカニズムなどから、日本の食材の多様性について学ぶ“理科的な”展示。

 もう1つは、文化としての和食の歴史を辿る“社会科的な”展示。

 ひと口に「和食について知る」と言っても、いろいろなアプローチがあるんだなと気づかされます。「すごーい!」と言って眺めて歩く展示というよりは、一つひとつの展示が和食についてしっかり考えさせてくれる、学びの多い企画展でした。(※写真撮影可です。)


  多様な地ダイコン

  コメの品種(ササニシキやひとめぼれは左の方に)


  様々なマグロ


  様々な酵母

 
  とんでもなく豪華な織田信長の饗応膳

  江戸のファストフード

  明治天皇の午餐会

  波平の夕食

 

 さて、本題の講演会です。

 テーマは、「『藩主の正月膳』と『仙台雑煮』から探る『宮城の和食』」です。

 以下、筆者による講演の要約です。

 

 まずは、「正月膳」、おせち料理のお話です。

 初代藩主伊達政宗の正月膳と第13代藩主伊達慶邦の正月膳のメニューを比較しながら(出典:政宗「木村宇右衛門覚書」、慶邦「大童信太夫・備忘録」)、その特徴を学びます。

 非常に品数の多い豪華なもので、藩主以外は口にすることが禁じられた白鳥が供されていたほか、遠方から取り寄せた伊勢海老などがどちらの時代にも使われていました。政宗のものと慶邦のもので共通点が多く、時間の経過のわりに変化が大きくありません。政宗の時代に、既に文化的にしっかり出来上がっていたことが伺い知れます。

 どちらの時代にも、ほや、赤貝、ふのり、鯨などの宮城の地域食材や名産品とされた「鮭子籠」が使われていたほか、政宗の膳に使われていた上方文化を象徴する「叩き牛蒡」が、慶邦の膳では「うるか(あゆの塩辛)」に取って代わられるなど、次第に地元重視になっていった跡も見受けられます。

 残念ながら、このように武家が担っていた仙台藩の料理文化は、「天明の大飢饉」「天保の飢饉」「戊辰戦争」を経て進んだ武士階級の困窮とともに崩壊し、伝承も途絶してしまいました。

  講演会資料より(伊達慶邦の正月膳 再現レプリカ・大崎市所蔵)

 

 続いて、「雑煮」です。

 仙台藩の上級武士の「正月雑煮」は、正月膳と同様に明治維新で途絶したのに対し、庶民の雑煮は、仙台藩の時代から現代に至るまで280年間の伝統を受け継いでいます。大根とゴボウの「引き菜」や地場産品の「カラトリ(里芋の茎の乾物)」、「凍み豆腐」といった伝統的でかつ地域性の豊かな保存食品が使い続けられているのです。

 ちなみに、今では当然のように入っている「人参」は、江戸時代の半ばに渡来(西洋人参は明治以降)したもので、江戸時代~大正時代までの文献には見当たりません。

 また、仙台の雑煮の代名詞のように扱われている出汁の「焼きハゼ」は、意外にも仙台特有とは言えず、普及の時期も比較的新しいものです。むしろ、ホヤ・アナゴ・鮎といった地域食材の再評価こそ、宮城の和食の「持続性」と「可能性」が見い出せるのではないでしょうか。


  講演会資料より(伊達慶邦の雑煮 再現レプリカ・大崎市所蔵)

 

 以上が筆者による講演の要約です。

 知らないことがたくさんあって、とても勉強になりました。このような講演ができる会長と仲間になれただけでも、いっきゅう会に入った甲斐があります。

※今年も宮城マスター検定1級試験の受付が開始されていますので、ぜひ受験してみてください!!

 

 講演会終了後、まだ開催できていなかった第13回合格者の皆さんとこれまでの会員との顔合わせ会を開催し、懇親を深めました。

 秋には爽やかに外を歩く研修会を開催する予定ですので、その様子もレポートしたいと思います。

 

執筆:ひとしさん