こんにちは。
4年ATせんです。
この挨拶も最後になりました。感慨深いです。
まず初めに、名大女子ラクロス部を応援してくださった皆様、多方面からの応援・ご支援ありがとうございました。皆様の力があったからこそここまで戦い抜くことができました。結果で恩返しをできず申し訳ない気持ちでいっぱいです。これから続いていく26willawsも変わらぬ応援よろしくお願いいたします。
そしていよいよブログを書くのも最後になりました。
「せんちゃんのブログ長そうやなぁ」と色んな人に言われましたが、まぁそれも最後なのでぜひ付き合っていただけると嬉しいです。
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時は3年前の4月に遡る。
私は小1から12年間ずっとテニスをやってきたのと、高校では野球部の次に名前があがるくらいにはハードなテニス部だったため、大学合格後から部活に入りたいなぁテニス部にしようかなぁと考えていた。インスタを漁って女ラクを見つけて、入りたい!と思って新歓に全部行ってそのまま入った。一瞬だった。笑
新歓で行った、20vs21のチャレマ。
新歓の時は楽しそうにわちゃわちゃしてる先輩方のキレッキレなプレー。チームスポーツの一体感。個人競技しかやったことがない私の心に、グサッと刺さった。
私もユースに選ばれて1年後にこの舞台に立ちたい。その決意が今後の私の大きな原動力となる。
身体を動かすこともハードな部活日程で活動することも、私は慣れていたし好きだったから、それについてはあまり苦に思わなかった。珍しいタイプだと思う笑
テニスをやっていたこともあり手元のクロスワークは楽しくてたくさんやった。B練参加メンバーのところに名前があった。ユースに選ばれるためには上手くならないといけないから、B練参加メンバーになれて純粋に嬉しかった。
よしこのままこの調子で!と思いきや、そんなに甘い世界ではなかった。いつもネット越しに戦っていた私にとっての最大の壁は、1on1だった。よくみんなが言う「1on1うつ」に早めに入り、セットに入る度に上手くいかず先輩に泣きついた、、(さちさんいつも慰めてくださりありがとうございました🥲)
そんなこんなで22開幕戦。vs南山。
当時は開幕戦に出場していること自体の凄さをあまり知らなかった。だから、初戦だ〜新歓試合以来の先輩たちの試合が観れる楽しみだな〜という感じだった。
そんな私だったが、どんどん白熱していく試合展開に、気付けば両手を祈るように握っていた。1プレー1プレーに心臓がバクバクして飛び出そうだった。それは今でも鮮明に思い出せる。
4Q、残り1秒、1点ビハインドでの22主将そらさんのブザービート。決まった。同点。試合終了。
会場の一体感を感じた。シビれるってこういうことか、人生で初めての感覚だった。
サマー頑張ろうって思った。しかし、私の学年は自分の思いを外に出すのが苦手なタイプが多く、練習後にはよく育成が集合かけて、なぜ振り返りが出ないのかを話し合った、、懐かしい、、笑
サマーは輝かしい功績を残すことなく終わり、そのまま1年生でコロナ騒動を起こした、会えないからLINEで人狼をたくさんやった、、懐かしい、、笑
問題児でした、、先輩方こんな私たちを見捨てずにたくさんご指導いただいて本当にありがとうございました。
その後リーグで先輩たちはいろんな大学に圧倒的な実力で勝っていった。背中が大きくて、本当にかっこよかった。3年後の私たちはどんな背中なのかな、想像はつかなかった。
そして迎えた、FINAL。vs南山。
たっくさんスカウして、たっくさん練習してる先輩たちを見てきたから、次こそ勝つ。勝つ瞬間に立ち会いたい。そう思ってた。
途中4点ビハインド。それでも誰1人諦めてなかった。
これは言い切れる。全員が同じ方向を向いていた。
1点を返してからチームが勢いに乗り、同点まで追いついた。ほらやっぱり先輩たちは凄いんだ。そのまま4Qが終わった。
サドン。どちらかが決めたら終わり。心臓がはち切れそうなくらいバクバクした。
決められた。
終わった。実感がなかった。
この最強な先輩たちが負けた。言葉が出なかった。
ぽっかりと穴が空いたような、そんな気持ちだった。
あれから3年経った今でも、22開幕戦とFINALの話を同期とすることがある。語り継がれるような試合をこの目で見れたことに、今でも感謝しています。
19世代は、ずっと雲の上の存在で、今でも話しかける度に緊張するくらいには、憧れです。
いつかはっきりは覚えてないけど、ここらへんのミーティングで、23育成が募られた。育成になりたいなぁってずっと思ってたから、立候補した。これが私の育成人生の始まり。
22が終わって、23。
ユースに選ばれた!ずっと目指していたから、本当に嬉しかった。ユースで会う他大の友達とラクロスするのもお話するのも楽しかった。
名大ではAB分けがされようとしていた。大大大好きな4年生とリーグに出たかった。だから、Aに選ばれたかった。Aに選ばれなければ可能性がゼロじゃないことも分かっていたけど、この時期にAに入れたら一緒に出れる可能性は高いと思ってたから。
でも新人戦ぐらいからずっと足が痛くて、本当に痛くて、3月頃メニューを抜けるようになった。
幾らマッサージしてもよくならなくて、4月病院に行った。痛いところのMRIを撮ったら、別の場所で疲労骨折が見つかった。ビックリした。チャレマが頭を過ぎった。
私は高校生のときに両足疲労骨折したことがあって、その時の痛みは歩けないくらい尋常じゃなかったから、今回はそんなに痛くないのにそう診断されて、あまり納得いかなかった。
1ヶ月間の安静を言い渡されたが、歩けてしまうからどうしたらいいのか分からなかった。はぁ。山の上には行った。でも山の上にいても意味あるのかわかんなくて、毎回辛かった。でもチャレマには出たかったから、休むわけにはいかず行き続けた。(この時は名大の練習に参加出来ていないのにチャレマに出ようとしていることがおかしいことに気付けていませんでした。本当にごめんなさい。)当時主将のはくさんに怪我のことを伝えた。「うわーそうなのか、」と悲しい顔をしてくださったのを覚えている。その時悟った。一緒にリーグ出れる可能性が低くなったと思った。
チャレマには出たすぎだから怪我のことをユースのコーチさん方には言わずに、ユース練には参加した。本当にごめんなさい。そしたらスタメンだった。嬉しかった。
当日のベンチでみんなでライラック歌ったなぁ。1年間の努力が報われた気分だった。
けど、本番足が痛すぎてなにもできずに終わった。
数日後足の再検査があった。お!治りつつあるねって言われる予定だった。1回のユース練とチャレマに出ただけだし、そんなことより1ヶ月間部活は出席はちゃんとして何もしなかったんだから大丈夫でしょと。
なのに、悪化してるね、あとまぁ2-3ヶ月は安静にしてね。この松葉杖使って。と医師に言われた。こんなに安静にしてもダメならどうしたらいいんだ。普段のちょっとした歩く動作も骨に響いてるんじゃないかって怖くなった。松葉杖は邪魔で動きずらくてイライラした。だから、山の上に行くこともやめたし、授業も学部の先生に事情を説明して全部オンラインにしてもらった。家から出ない生活が始まった。そんな生活は私には地獄だった。同期何してるのかなぁって考えて、ああ私遅れちゃうなぁって、でも部活関係のLINEは一生動いてて、嫌でも意識しなきゃいけなくてそれで何回も泣いた。
育成LINEが1番キツかった。私だってラクロスしたいけど、できなくて、でも何かはしなきゃって、今が成長期の1年生の動画見て、これいいね!って画録したのを送って、だけど周りからは何もやってない動いてないって思われててそう言われて、育成辞めようって思った。いちごさんに送る文を考えた。でも送る勇気無くて消した。また辛い日々が始まった。
その時助けてくれたのは学部の友達。部活のことをあまり考えないようにしてた私に気付いて、朝から夜までたくさん遊んでくれた。部活のこと考えたくないから同期を頼れなかった。だから、学部の友達たちの優しさにたくさんたくさん救われました。ありがとう。
(②に続く)





