どうせお前は死ねない

どうせお前は死ねない

自分が不安に思っていることが、全く起こらないことは、人生で最も悲劇的なことだと思う

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オレは何をやっていたんだろう。

公表しなくていいじゃないか。

オレは目的を見失っていた。

わざわざペンを使って書くのは面倒くさいし、字も雑になって何書いたかわからなくなるのがいやだった。

だからパソコン使って自分の心を書いていくのが目標だった。

ワード使うと膨大な量になりそうで、自分のパソコンの容量を喰いそうで嫌だった。

その結果、アメブロで書いていたんだが、

「下書」機能があるじゃないか。

これで十分だった。

わざわざ人の目にさらす必要はない。

自意識過剰になるだけだ。

そして、一日の記録を分割する必要もなくなる。


というわけで、これがブログとしては最終回

人の評価に左右されずに満足することは可能なのか。

自信をつけるには、人からの評価がないといけないと思う。


あと、ドMは自意識過剰になりやすいんじゃないかな。

官能小説みたいな状況にもっていこうとする。

よくわからんけど。

文章にしづらいな。

相手がどう考えているかは、ちっとも関係ない、とまでは普通の人は思っていないらしい。

それなりに相手を考えて、なおかつ自意識過剰にもならない。

勝手な線引きをしている。

それがうらやましい。


自分だって勝手に相手の気持ちを考えているじゃないか。

大差ないだろ。


自分の事を、ペーソス漂う人物と勘違いして居る様だが、ただの勘違い野郎だ。

滑稽でしかないんだよ。

誰もお前の事を気にしていない。

気にしているか測る機械がない。

だから、気にしていないと考えておけばいい。

気にしているかどうかを考えなくても物事は進むようになっている。

社会はそういう風にしてくれたらしい。


不幸中の幸いだ。


オレのオレに対する批判の目を摘みたい。


例えば、プロ野球選手になりたいと言っているクソガキは、

野球をすることで生活費を稼ぎたいという現実的な視点ではなく、

自分の好きなもので、なおかつ目立ちたい、誰かの憧れになりたい、ということだろう。


ここに、オレみたいになってしまう落とし穴があると思う。

目立ちたいと楽観的に思う分にはいいけど、

本気で目立ちたいと思ったら、すべての批判をうけいれて、完全な存在としてみんなの前に現れたいとオレは思ってしまった。

普通の人は、批判にこたえる必要はない、と思えるのだ。

ここが大きな違いだった。

批判に従順な犬となり、その後の人生を狂わせるか、夢は破れても普通の人生を送り、「オレもこんな青春したかったなー」と、それなりにいい青春を送ってきたのにもかかわらずそのようなことをぬかす人物になるかの分かれ目だった。


精神をやまないならどんな青春も素晴らしいと思う。

精神をやんでいない心の感じが、オレにはわからんけども。

たとえば、作家の人は、どうやって自意識をいつもコントロールしているんだろう。

色々な気持ちが解らないと、作家にはなれないと思うが、色々な気持ちをわかろうとして、意識の中に余分なものが混ざらないのか。


他人は自分の事を考えていない。

その当たり前の事実をわからなくてはならない。

そんなさびしい考えで、みんな生きてきたのか。

道理で乾いているはずだ。


乾いてしまうと、色々な感動が薄れてしまうのじゃないかという恐れがある。

そんなことよりもまず乾かした中で生まれる安定感の方が大事か。


ところかまわず相手の意識に入り込みたいと思っていたが、

全然入れていなかった。


全然だぞ。


相手をいくら考えていても、相手に影響は出ない。

それが悔しい。

理性的ではない。

相手をコントロールしたいという気持ちが強すぎた。

自分の気持ち悪さをもっと露呈する。

森田療法。


人を好きになると、相手が自分の事をどう思っているか気になる。

オレはそれが全人類にあてはまっていた感じだ。



もてなさなくていい。

仕事じゃないんだ。

気を使いたい奴に気を使え。

素直に自分のだめさをうけいれること。


なんで?なんで?

って言っても、仕方ないものがあるんだ。

自分だけでは動かせないものの存在を認めよ。・・・①


人に素直に頼れなかったのは、

①の前提がなかったから。

任せることに対して弱気というか、無能なくせに全部任せとけと思う。

やめなさい。

解らないこと(勉強に於いて)は聞ける。

実際的な状況についても、わからないものは、わからないと突き放してしまえ。


一人でやろうとするな。

let it beだ。・・・②

本当に②が大事なんだ。

その、普通に生活していれば、流れで身に着けられる考え方を身に着けられなかった、オレみたいな人間がいるんだ。

そういうやつは人一倍素直にならなければ、他のヤツとの差をうめられないんだ。

ぶっ殺したくなるくらい腹立つことだけど、戦略的に考えても、そいつらのやりかたに従うしかない。

甘んじよ。一回下がるんだ。


すごく考えて、考えて、やっと普通の、ありふれた思考にたどり着いた。

バカみたいだけど、それはそれで甘んじるしかない。

今はまだ追いつけない。こういう経験を一万回くらいすれば、追いつける。

まぁ、時には逃げてしまうことも大事で、そのタイミングが7わかんなかったりするのがオレなんだけど、その時は常識にまみれた親や兄の意見より、遠い人間の意見を求めよう。

チャットとかで。

そういうことって、距離が離れていないと、正直にいえないんだ。

親に何が解る。

壮大な勘違いししかしていないではないか。


僕は正直に言えば、親への感謝なんて、ケツ毛一本分くらいしか持っていないから、こういうことをどんどん言っておこう。ここに。


こんな、自分にとっては太平洋くらいのスケールの悩みをぶつけまくる精神の人生で、親に感謝などできるわけないじゃないか。

親はわるくないけど、産んでくれたことに対する感謝はしていないということだ。

もちろん、飯とか作ってくれることには感謝している。

そう考えると、ケツ毛500本ぶん位さらに上乗せして感謝しないと。

まぁ、生まれてなければそこに感謝する必要すらないんだが。