”必ず明日は来る” | 翡翠の風(ひすいのかぜ)

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おニャン子クラブ会員番号18番永田ルリ子さんをメインに語ってます

◆ルリ子さん、今もお元気でお過ごしですか?
◆ルリ子さん、今どこでどんな景色を見ていますか?

【瑠璃色がゆれる ひすいの風がふき ”今” 瑠璃色がゆれる】
by永田ルリ子さん

 

    

37年前の1985/09/20(金)

  • 「いじわるねDarlin'」を歌う。
  • <とんねるずのデートDEホイホイ>スタート。
  • <オリコンウィークリーベスト5>で「涙の茉莉花LOVE」登場2週目で第一位を発表。
 
35年前の1987/09/20(日)
  • 国立代々木競技場での『全国縦断FINALコンサート』最終公演でおニャン子クラブ、解散。

『おニャン子白書』夕やけニャンニャン完全年表より

 

今日は、早めに更新させて頂きます。

せめてもの思いで、今日の投稿時間を、18:18:18にさせて頂きました。

ルリ子さんの会員番号18番に、敬意を表して。

 

今の私は、正直気持ちに余裕がありません。

いえ、今日だけじゃなくもう私にとっては1週間程前から...

いえ、夕ニャン最終回のルリ子さんの代表の言葉を聞いた8/31から...

いえ、ルリ子さんの解散宣言を聞いた6/15から...

ここ数ヶ月ずっとですね。

 

この3連休、久々に3日間もブログ更新をお休みしました。

それは、特段何か出かける予定が入っていたとかではありません。

じっくり&ゆっくり、この9/20前後のルリ子さんのお気持ちを考えて過ごしたかったからです。

結構本気でした。

 

そして、昨日9/19は。

既に、35年前おニャン子クラブのファイナルコンサート代々木での1日目だったんだなって思ったら、気持ちも落ち着かなくなって胸の辺りが時々ぎゅっと痛くなったりして。。。

 

そうですね、TVではずっと台風関連のニュースが報道されていましたが、その台風と言う響きでさえ、ルリ子さんのことにまたも繋がってボーっとしていました。

 

そして、ついに今日9/20を迎えました。

 

おニャン子白書から、最後のメッセージ

 

私はこれまで3回、ルリ子さんの手書きメッセージで本気で泣きました。

以前にも書かせて頂きましたが...

  1. 『太陽に恋して下さい』
  2. 『遠くに行ったなんて思わないで』
  3. おニャン子白書内、最後のメッセージ

です。

これまで、1と2は既にご紹介して来ました。

 

そして、ついに今日、最後となる3つ目のメッセージをご紹介する日になったと、思います。

 

私がルリ子さんを気になり出し、そこから入り浸らせて頂いている、おニャン子クラブ総合ファンサイトNyan SIDE-LINE様の掲示板にて、おニャン子クラブのことを知るならおニャン子白書がいいと教えて頂き、早速ポチしたのが、今年の1月でした。

 

1月。

正直言ってその頃の私の中に、まだそこまでルリ子さんの情報がない頃(今もですが)です。

本当に、まだ欠片程の小さなもの(今もですが)でルリ子さんの可愛さにのめり込み始めていた頃。

 

でも、何となくルリ子さんの辿った2年半が凄いものだったと、気付いていました。

だから、この本が届いて最初にとにかく開いて読んだのが、当然ですがルリ子さんのページでした。

 

だけどその最後のメッセージの重さに、まだ好きになりたての私の心にすら突き刺さって、いつの間にか泣いていたんですよね。

小さな小さな画像ですが、左下に載せられたルリ子さんの思い。

ルリ子さんがどんな思いでこれを書かれていたのかと、もうこの時既に胸に迫っていました。

 

でも、今日、9/20に。

自分としてもしっかりこのメッセージを改めて読み、ご紹介するべき日は今日しかないと、思いました。

なので、掲載させて頂きます。

 

ルリ子さんの覚悟、決心

 

 

8ヶ月前、まだ”にわかド新米”で”無知”で””情報不足”(今もですが)な、こんな私にすら伝わってきたルリ子さんのこのお気持ちは。

 

ルリ子さんの中で、おニャン子クラブ会員番号18番は終わったんだな

と言うものでした。

端的に言えば、もう二度とこの中に戻ってくることはないと覚悟されているじゃないか、って。

 

そんな強い決心を感じて愕然としたんです。

悲しいと言うより、そのルリ子さんの覚悟を感じて驚きました。

 

おニャン子club会員NO.18永田ルリ子としての最後のメッセージとします

ここに二重で下線を引かれ、”最後のメッセージ”の上に点まで振られている。

そこまで強調されている書き方に...

完全に、お別れ、決別のお言葉ですよね。

 

それが、胸をえぐる程に伝わってきてしまい、優しいルリ子さんの数々の笑顔や頑張っているお姿が頭の中に駆け巡り、涙が溢れていたのを覚えています。

 

そしてこの時感じた気持ちは、そこから8ヶ月経過し今日改めて読み返した今もやっぱり変わりませんでしたし、当たっていたなとしみじみ思います。

ただ、今の方がもう少し、付随する部分が膨らんでいます。

 

ルリ子さんの柔らかさと、一本筋の通ったブレない芯の強さ。

この双方の凄さがここに最後に表れていると、思います。

その理由は、後ほどまた書かせて頂きます。

 

貫く

 

ルリ子さんを好きになり始めて、情報をどこから探したらいいんだろうと思っていて、ググって色々出てきた中に、【おニャン子クラブにいた日々を黒歴史にしたがっている】などの表現を見たことがありました。

多分、”あの関連”のことを絡めて言っているんだろうなと思います。

 

何と浅はかで、慎みを欠いた常識のない恐ろしい言葉でしょうね。

これが噂となり批判となりネット上に残り続けていく怖さです。

 

ルリ子さんは多くを語られないまま引退され、そしてそこからずっと、一貫してメディアに登場されない姿勢を貫かれています。

誤情報が流れていると分かれば、色んな誤解を解いたり訂正したいと、人は思うものではないでしょうか。

でも、ルリ子さんは一切それをされないまま、35年間来られています。

 

この凄さ。

この強さ。

 

ルリ子さんは、一度決めたことは貫かれるんだな。

この最後のメッセージで残されていった通り、一度もその決意を翻すことなく、”おニャン子クラブ”としてのご自分を1987/9/20までで置いて、過ごされているんだな。

 

そう感じます。

この点は、今後ももっともっとしっかり、ご紹介させて頂きたいと思っています。

 

本当は、この最後のメッセージを考察するのは、余りに無駄なことだと思っていました。

いえ、ルリ子さんの思いが深過ぎるので、第三者がああだこうだ言うのは余りに失礼だと言う意味でです。

実際、もうこのメッセージをじっくり何度も読んでいれば、人それぞれに伝わってくるものがある訳ですし。。。

 

でもどうしてもルリ子さんの思いが私の心の琴線に触れてくるもので、それを私なりに言葉で表現することで。

ルリ子さんのことを誤解されているような方がもしここにたどり着いて見た時に、その誤解が溶けてルリ子さんの魅力に気付いて頂けたらこんな嬉しいお手伝いはないと思います。

偉そうに、ごめんなさい。

 

”人間として生きていく意味”

 

おニャン子クラブとして最後のメッセージ、と言う括りで書き始められたであろうこの時のルリ子さん。

でもその途中で”人間として”と言う言葉が出てきました。

 

凄いですね。

ここから、ルリ子さんがいかにおニャン子クラブに本気で気持ちを注いでいたかが、伝わってきました。

 

おニャン子クラブは所詮放課後のアルバイト感覚だったんだろうなんて思う人もいるかもだけど。

でもそれは、実際そこにいたことがない人だから思えることなんじゃないかな。

 

ルリ子さんのように真面目でいつも全力投球で一生懸命だったメンバーからすれば、自分の時間をかけて、自分の青春をかけて、もっと大きく言えば自分の人生をかけて、注いできた時間だと思うんです。

 

だから、そこにはルリ子さんの尊厳があり、人としての生き方が関係していたくらい、全身全霊、全身全力だったと分かるから、またこの言葉がずっしり来るんです。

 

ルリ子さんの描いていた夢。

途中で変更しなければいけなかったかもしれない夢。

 

その内容を私たちは想像するしかできないですが、その夢を追い続けながら2年半過ごされてきたことで、ルリ子さんは「人間として生きていく意味」を見出されていたのかなって。

大げさですか?

そんなこと、ないです。

 

挫折と言う言葉もあります。

でも私はこのブログでは使いたくないです。

これまでにもほとんど使ったことがないですし、今後も使う気はありません。

しかも、ルリ子さんにこの言葉は当てはまりませんから。

 

ルリ子さんが経験されてきたことは決して挫折なんかじゃなく、都度変わる状況での夢の変更ですよね。

そうした調節を、20歳の若さでお1人でされていったその努力やプロセスに、強く惹かれます。

 

そこに、人間として生きていく意味があると、私は思います。

にしても、本当に20歳でここまで考えておられるルリ子さんは、どんな人なんだろう。

 

ルリ子さんのリセットボタン

 

今回のような最後のメッセージを読み、批判ばかりしたがる人ってどうしてもこう言う時にマイナスな要素を見つけてそこをつつきたくなるもの。

 

では、ルリ子さんのこの最後のメッセージはどうでしょうか?

何かまだモヤモヤして、吹っ切れていなくて、未練のようなものを、見つけようとされますか?

いえ、違いますね。

重要なことなのでハッキリ言いますね、違います。

 

もちろん、”葛藤”は見え隠れします。

でも当たり前ですよ、ルリ子さんの2年半の頑張りを知っていれば・・・

そして、それが人間として普通の感情です。

 

そんな中でも、ルリ子さんの凄いところ。

朝は何かイイコトがある

色んなコトがあっても明日は必ず来る

過ぎたコトにくよくよしても仕方がない

私達はまだまだこれから

ご自分の葛藤を感じながらも、いつも前を見て歩こうとしておられるところです。

このメッセージから伝わるのは、私はこのルリ子さんの健気な一途さです。

 

果たせなかった夢があるかもしれない。

だけど、もうルリ子さんの目はこの時「これから必ず来る明日」に向いているんだなって。

 

と言うか、そのように懸命に努力されようとしている健気さ、ですよね。

そこ、なんです。

自分と向き合って、思いを置くポイントを懸命に調節されている健気さなんです。

 

でも、だからこそ。

ルリ子さんにとって、この新しい夢に今度向かっていくために、1987/9/20で一端すべての気持ちをリセットしなければいけなかったのかもしれないな、って思うんです。

 

ルリ子さんは、ご自分で”不器用”と仰っています。

そう、そんな簡単に器用に「はい次!」なんて...

パパっと翌日には気持ち切り替えて、「さぁ新しい生活だ!」なんて...

できないのです。

 

私には痛い程、伝わって来ます。

不器用なんて謙遜して仰ってますけど、それだけ、情熱を注がれたんです。

だからその分、しっかりご自分の中で線引をして、リセットボタンを押さなければ、次に進み出せないと言う感じだったのではないかと。

 

だから、ルリ子さんの決心は、固いのです。

ご自分といつも向き合ってよく理解しておられたからこそ、ルリ子さんは器用に割り切ったりすることができなかったと、私は思ってます。

 

ルリ子さんにとっては、1987/9/20でおニャン子クラブとしてのご自分とは、お別れしなければいけなかったのではないかと。

 

これが、状況を知らない世間一般の見方になると、「黒歴史扱いしている」となってしまうのですから。

恐ろしいですね。

 

私は、ルリ子さんのご性格ですと、そもそももう【元おニャン子クラブの・・・】と呼ばれることすら、抵抗があるのではないかなって思います。

 

でもそれは、毛嫌いしているとか、思い出したくないとか、後悔しているとか、そんなことじゃないんです。

逆に、注ぎ切った、やり切った、まさに”完全燃焼”したと思うからこそ、もうその肩書きは必要ないのではないかと。

ご自分との、けじめ、ですよね。

 

次の新しい人生第二章を始めるに辺り、ルリ子さんの場合はどうしても、リセットボタンを押す必要があったと私は感じています。

 

それを受け止め、心の底から、ルリ子さんのリスタートを、応援したいです。

35年経過していますので、今さら何の応援なのかって感じですけど・・・

でも、今もルリ子さんの人生は続いています。

そして、ルリ子さんの固い思いは、今も崩れることなく貫かれていることを知っていますので、ずっと応援しています。

 

情熱の炎は今も続いている

 

私は、ルリ子さんをずっとずっと応援し大好きでいますので、おニャン子クラブ自体も今日の日付けをもって完全に終了となることとのバランスがまだ上手に取れていません。

 

でも間違いなく、おニャン子クラブそのものも、今日が最後の日です。

そして全国から思いを飛ばし続けている偉大なるこニャン子先輩がたは、このおニャン子クラブへの情熱の炎を35年経過した今もずっと、燃やし続けて下さっています。

 

facebookグループ【代々木おニャン子クラブFINAL LEGEND】にて、FINAL LEGEND実行委員会様が、本日20時より、下記のURLでオンライン上でこの解散コンサートの動画を視聴し、チャット機能でお互いにトークしながら様々な思いを交わし合うイベントを企画されております。

 

 

私はFacebookをしていないですし、まだ直接お話ししたこともないもので、許可なく勝手にこのイベントを掲載してもよいものか悩んだのですが。。。

 

でも、おニャン子クラブ総合ファンサイトNyan SIDE-LINE様の掲示板で管理人のめろんさんや、いつもお世話になっているこニャン子先輩のなすびさん、ゆーたん☆さんなどからも教えて頂いておりました。

 

そして何より、私も心からこのイベントの成功を願い、微力ながらアナウンスだけでもさせて頂けるなら光栄だなと思いましたので、書かせて頂きました。

 

解散から35年。

ずっと繋がってきた”TEAMおニャン子クラブ”の思い。

本当、ひたすらに、凄いです。

私は35年経っての初参加です、泣けてきますよね。

緊張はしますが、途中からぜひ参加させて頂こうと思っています。

ぜひ、ご都合のつく方、一緒に思いを共有されてみて下さいね。

 

そこに集っても集われなくても、すべての思いは、すべて繋がっています。

大事なのは、思うこと、思い続けること。

 

準備していたのか、思い立ったのか

 

 

さて、また話しをルリ子さんに戻させて頂きますね。

 

この今日のファイナルコンサート内で、もっとも特筆すべきルリ子さんのシーンはやはり、【夏休みは終わらない】での最後のところだと思います。

 

この時の約1年前から、夕ニャン内で何度も歌い、コンサートでも歌われ続け、シングルではないけど最も有名となった曲でもあると思います。

夏、夏休み、とくればこの曲を思い出す、と言う方も多いのではないでしょうか。

それ程、胸にじんとくる淡い名曲です。

 

これまで何度か取り上げている、2番終わり、間奏からのフレーズ。

古いラジオでは次の台風 北上すると伝えてた

この曲の中でもかなり重要ポイントとなるこの部分を歌われているのが、ルリ子さんです。

 

ルリ子さんってやっぱり何か、凄いものを持ってるんですよね。。。

ソロとしてのデビューはなかったけど、要所要所の鍵を握る大事な時に、ルリ子さんがパートされていることが多いのは、やはり意味があるのだと思います。

 

 

9/20の最後の歌唱。

ショートバージョンではなく、フルですべて聞けたのが凄くよかったなぁって思います。

テンポめっちゃ速いですけど。。。

 

でもこれは、気安く何度も見返すことのできないくらい、苦しいです。

それはやはり、この、

古いラジオでは次の台風 北上すると伝えてた

に入る直前の、ルリ子さんの”最後の渾身の叫び”ですよね。

 

色々なコメントがありますが、私の耳には「みんな最後だよ、一緒に歌って!」と聞こえます。

 

ルリ子さんがこんなことを、歌の中で言われるなんて...

控え目なルリ子さんが、あえてここで叫ばれるなんて...

 

やっぱり最後の最後まで、ルリ子さんは「みんなで一緒に」なんですよね。

「私だけ」や「私が」じゃなく、「みんなで一緒に」。

その思いに少しでも触れる時、もうどうにもならない苦しさを覚えます。

  • この言葉は、言おうと思って考えていたのか?
  • それとももう咄嗟に出てきたものなのか?

どちらなのでしょう。。。

他の公演の時にも言われていたのかもしれないですが。

ずっとずっと考えていますが、今の私にはまだ分かりません。

 

そして、この時叫ばれた『最後』の意味とは。。。

  • この曲の歌い納めとしての最後
  • おニャン子クラブとしての最後
  • ご自身の最後

どちらであってもなくても、どれもが全部切ないと言う結論は同じです。

切ないです。

 

普段”永田ルリ子さん”を前面に出されずに、特に解散間近の頃は”おニャン子クラブ”としての責任を全うされてきたルリ子さんだけに、この叫びも私には、永田ルリ子さんとしての最後の証を刻まれたように映り、切なさも倍増です。

 

そして実は凄く印象的なのは、「みんな最後だよ、一緒に歌って」が終わり、

なぜか分からないけど 頬に冷たい雫

の時、ルリ子さんのふっと一息吐かれた瞬間なんですよね。

本当に、終わったんだなって感じられたのかなって思います。

 

時は思い出の宝箱

 

今日は、シンプルに終わろうと思っていたのですが。

やはりルリ子さんのことを考え出すと、次から次へと思いが湧いてきて、止まりません。

 

当然ですよね...

何と言っても、35年前の今日、ルリ子さんは表舞台から去って行かれたのです。

この日を境に、2022年時点でお姿もお声も、もう何も触れることができなくなったのですから。

そう思えば思う程、この日を迎えるのが怖いような寂しいような悲しいような。

 

でも、ルリ子さんが最後のメッセージで書かれていたように。

”色んなことがあっても、必ず明日は来る”

 

ルリ子さんがここで、「必ず」を先に持ってきているところにも、凄く惹きつけられます。

  • 明日は必ず来る
  • 必ず明日は来る

どうでしょうか。

言葉をどこに置くかで、印象って随分変わりますよね。

 

この時ルリ子さんが強調したかったのは、「必ず」明日は来ると言う方だったんです。

まだ見えない明日ではなく、その明日が「必ず」来るんだって言う確信です。

ここに、ルリ子さんの思いのポイントを見た気がします。

 

1987/9/20も過ぎて行けば、365日の中のほんの1日に変わりはないのですよね。

そうやって流れていく、悠久の時間、時空、時代。

そして実際流れてきた35年です。

 

それでも、やっぱり。

大事な大事な日付けとして、ルリ子さんの胸の中に今も、間違いなく残っておられるはずだから。

 

何度でも言わせて下さい。

ルリ子さんは、この日おニャン子クラブとしてのご自分を捨てたのではありません。

決別と言っても、捨てたと言う意味ではなく。

 

おニャン子クラブとしての思い出を心の箱にしまい、置かれて来たのではないかと。

私にはそんな表現がぴったりだと思えます。

 

一般的には、その後お姿を見ることができないその一貫した姿勢が、マイナスに映るのかもしれません。

不仲だの、確執だのって。

 

違います。

ルリ子さんは、青春を懸け、完全燃焼した。

やり切ったんです。

 

だから、心の片隅に、大事に大事にしまってあるんじゃないかなと。

”時は思い出の宝箱”です。

それは、ルリ子さんだけのもの。

 

それぞれが、それぞれの9/20を

 

これからしばしこニャン子先輩がたに混じって、35年前の思い出の中に、初めて紛れさせて頂こうと、思います。

 

凄いですよね、全部全部、同じ思いを分け合うことができるファンが今も全国にいるって。

感じ方も、見方も、応援の熱量も、それぞれ形が違うかもしれない。

でも、向かっているベクトルはみんな同じ場所。

”おニャン子クラブ”なんです。

しかも、35年経った今もずっと一直線に伸び続けている。

 

なので、私も端っこにちょこんといさせて頂ければって思います。

私は特にルリ子さんの思いを感じながら、それぞれが、それぞれの9/20を過ごせたらいいなって思います。

 

そしてそこから感じること。

きっと私のこれからのルリ子さんへの思いに、「必ず」プラスになるに違いないから。

 

 

今日のブログを終える前に、再度ルリ子さんの最後のメッセージを載せさせて頂きます。

もし可能であれば、大きくして、声に出しながら読んで頂きたいです。

心に熱いもの、感じて頂きたいな。

 

今日、この後の時間は、ファイナルコンサートを皆さんと見て、その後はゆっくりじっくり、ルリ子さんに思いを馳せたいと思います。

 

最後に、どうか、どうか。

今日もしこれからファイナルコンサートの動画を見てみるかと思われる方がいるなら。

 

おニャン子クラブに青春を懸け、全てを注いだ会員番号18番永田ルリ子さんのお姿と、散りばめられたその熱い思いを、少しでも意識して見て頂けたら、本当に嬉しいです。

そしてルリ子さんのお姿を、ずっと忘れずにそっと胸に抱いて頂けたら。

 

どうか、お願いします...