日曜日と言うのは割と、感傷的な気分になりやすいのは、ナゼなのでしょうかね・・・😥
あれかな、もしかして月曜日がまた始まる~イヤだよ~の例の症候群的な笑💦
でも、本当日曜日は結構センチメンタルになりやすいですね、私・・・
特にやっぱり、ルリ子さんのこと考えているとグングン切ない方へ切ない方へ、行きます。
今日もごそごそルリ子さんのこと考えている中で、こんな記事を見つけてまた一人センチメンタルモードになったので、ご紹介いたします。
それが、この記事です。
2016年にインタビューされた時のものの一部のようなので、今から6年前にはなりますが、大変興味深い内容でした。
特に私はやっぱり、何度も同じこと書いていますけど、ルリ子さんと近かったメンバーを見たりすると、そこにルリ子さんの影を探し求めてしまう訳です😓
だって、仕方ないですよね。
そうすることによって、ルリ子さんの息吹をちょっとでも現在の時間軸で感じることができるんです。
と言うか、そうすることしか方法がないですから。
恵利さんは、おニャン子クラブ結成時からルリ子さんと仲良しさんだったのは後から知りました。
アンケートなどでも、恵利さんはメンバーの中で誰をお嫁さんにしたいか?となった時に、【もち、ルリchan】と回答していたり、コンサートのホテルで同部屋の時にイタズラをして楽しんでいるエピソード披露していたり、一緒にいる写真も大変多いですし、その関係性がよく分かってきました😄
昨日書かせて頂いた記事の中でも、ルリ子さんが恵利さんにサプライズをしていたりしていますので、気心知れた仲だったんだろうと言うのは想像がつきますね♪
私、この写真好きなんですよね😆
ルリ子さんと恵利さん可愛い過ぎじゃないですか💞
ルリ子さんの寝顔、もう貴重過ぎてこれ飾っておきたいくらいです笑。
これはガチ寝だと思うので、尚のこと私には悶絶級ですー
きっとご本人は、「こんなの出さないで~💦」なのかもですが😅
寝顔って、どれだけ歳を重ねても変わらない1つだと思うので、きっとルリ子さん今もこんな感じなのかなあって、ちょっと失礼ながら想像できて、この写真大のお気に入りでございます😪
でね、今回の恵利さんのインタビューに、ルリ子さんのことを思わせてくれるような言葉自体はなかったんですけど。
でも、同じおニャン子クラブメンバーとして、きっとどのメンバーもが感じているだろう気持ちを述べておられて、そこでこう・・・
う~ん、”ルリ子さんも同じ気持ちでいておられるといいな”って感じた部分があるんです。
それが、ここですね。
部分的に抜粋しております。
当時の思い出は、30年経ったいまとなってはいい思い出ばかりですね。
おニャン子にいた1年半は本当に貴重な思い出。
一時はね、おニャン子の過去がイヤだった時期もあったんですけど、ピンク・レディーさんとかキャンディーズさんとか考えたときに、みんな一生ついてくるんだよなあって。
そう気づいたときに「ああ、もうわかりました、墓石にもおニャン子って彫りましょうかあ!」ぐらいの気持ちになって。
そのくらいの決意はしましたね。
色々考えさせられます・・・
当時はみんなそれぞれ本当に色々なことがあったでしょう。
恵利さんは、”新田派””国生派”と言うのが当時存在していたようで(知りませんでした!)、もちろんソロ組で人気者でしたから、絶えず比較されたりファン同士の色々なものも多かったのかなあなんて想像できるんですが。
今の時代では考えられない程、過激なファンも多かったと思うんです。
おニャン子メンバーでいた間、たくさんのことがあって当時は嫌だなって思うこともやっぱりあったんだなーって。
おニャン子の過去がイヤだった、ってはっきり言っておられて、そう言うのも私にはとっても不思議と言うか複雑な気分になりました。
でも、30年以上経った今、それも含めて貴重でいい思い出って言って下さっているその気持ちがね・・・
多分、全おニャン子メンバーも同じなのかなって想像したんです。
もちろん、ルリ子さんも・・・😭
ルリ子さんは特にね、自分の思い描く形での卒業ではなかったかもしれません。
芸能界に残りたかった夢が叶えられず、あっという間に卒業・引退となってしまった訳です。
だから、正直「おニャン子クラブメンバー」だった過去を消したいと恵利さんのように思った時期も間違いなくあったとは思います。
もしかしたら、思い出したくない、もう封印したい、って、そこまで思ったかもしれません😭
でもそれは、ファンである私たちにはもう立ち入れないところですよね。
ご本人たちにしか、分からない・共有できない部分だからです。
だから、それを否定したり批判したりすることは絶対できない、しちゃいけないところ。
私には、そんな悲しいことできないですよ・・・
ただひたすら、想像できるルリ子さんの気持ちを尊重し、受け止めることだけ。
でも今私が思うのは。
そう言う時期があったとしても、いえあったでしょうの前提で。
恵利さんのように、今となっては全部引っくるめて貴重でいい思い出って、ルリ子さんも思っていて下さったら、いいなと言うことなんです😌
今日は、そのことしか思ってません。
同じ時間を過ごしたおニャン子の恵利さんが言うんだから、きっとそれはメンバーだった皆さんすべても、同じなんじゃないかなって。
そんな簡単なものじゃないのかもしれないけど。
1人1人感じ方も違うかもしれないけど。
そうであって欲しいと言う、私の願望も強しですね。
ルリ子さんについて触れて下さる恵利さん
少し話しは変わるんですが。
ルリ子さんのことが気になり始めてから色々検索していて、恵利さんとルリ子さんが仲良しだったことを知ったと先程書きました。
それが分かった1つに、ルリ子さんが引退した後も、恵利さんがご自身のブログ記事とかインタビューみたいなもので、ルリ子さんに時々触れて下さっていたのを読んでいたからなんです。
もちろん、もう随分前のものになるんですけどね。
- 自分が卒業した後、ルリ子さんにセンターになって欲しかった
- ルリ子さんは芸能界に残りたかったけど、結局自分は何もしてあげられなかった
- そっとしておいてあげて欲しい
みたいな感じだったと思います。
やっぱり、ルリ子さんも当時は色々恵利さんに相談したり、それこそ悩んでいるのも恵利さんは気付いておられたんでしょうね。
とは言え、それを手助けする程の力が1人の女性にあるハズもなく、時間だけ過ぎていってしまったことも理解できます。
色々ルリ子さんのことを誤解するような声があるのもご存知の上で、「そっとしておいて」と言えるのは、恵利さんの精一杯のルリ子さんを守る気持ちなのかな。。。って😣
だから、解散後も時々ルリ子さんの名前を出して下さることによって、ルリ子さんの存在を刻んで下さっているような気がして、それこそ35年以上経って私がそれを読んだ時、凄く救われた気持ちになったと言いますか。
これは単なる憶測(妄想・願望)ですが、恵利さんはもしかしたら今でもルリ子さんと連絡を取り合える環境にいるのかな、なんて思うんです。
今どこでどんな風に過ごしておられるか、多少はご存知なのかなあって思うとね、そんな想像をするだけでも、本当に涙ちょちょぎれるくらい嬉しいんです。
だから、ルリ子さんと近かった方々を今でもTVやニュースでお見かけすると、私は色んな思いで見てしまいます。
ルリ子さんの過ごされた1985年~1987年、そしてその後の今に至るまでは、言葉にし尽くせない色んなことがあったと思います。
だけど、巡り巡って、「あの頃頑張ったよね」って、「今となってはいい思い出だね」って、ルリ子さんが少しでも親友である恵利さんと同じように今思って下さっていることを、願ってやみません😖
“いつまでも私たちは振り向けばほら友達“💞