午後320分に、今夜の宿である青森県東津軽郡外ヶ浜町字三厩中浜にある龍飛旅館に到着した。
 
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明日、津軽半島の外ヶ浜町字蟹田から陸奥湾を横断するフェリーに乗り、下北半島のむつ市脇野沢に渡る計画を立てているので、そのフェリーに乗るための用意周到な準備をしたかった。
宿の主人やお客さんに明日の日程を説明し、アドバイスをいただき、ベストと思われる計画を立案した。
 
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その案は当初全く考えてもいなかった津軽半島東岸外ヶ浜を縦走する道となった。
黄星印の龍飛旅館から平館経由で赤線の通称松前街道(国道280)を通って、小説「津軽」で太宰治と同行したN君こと中村貞次郎の自宅のあった蟹田へ行く。
蟹田は小説「津軽」の重要な場面となっている町なので、行く前から楽しみであるが、そのことは蟹田へ行ってから書く事にする。
 この道を通ると50km程になり、混み合うこともない道とのことで、1時間もみれば余裕でたどり着けるとのことだった。
 朝食も午前6時半にしてもらって、遅くても午前7時には旅館を出発することにした。
納得出来る計画が出来たので、1時間程旅館の前の公園をぶらぶらしたり、風呂に入ったり、部屋で衣類の整理をしたりして、下の食堂で夕食となった。
 
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さしみの盛り合わせ、さざえのつぼ焼き、鯛の味噌汁などのご馳走が並び、生ビールも注文したので、満足の出来る晩餐となった。
ビール代も併せて8000円となり、宿の女将の都合で今夜のうちに代金を精算した。
翌朝の朝食も美味しくいただいて、930()午前650分ころに旅館を出た。
ところで今走っている松前街道は、江戸時代に道南にあった松前藩の参勤交代に使われた道ということでつけられた名だという。
 
実は松前街道と銘々されている街道は二つある。
 
一つは北海道の函館から松前(旧名福山;以前は福山街道と言われていた。)までの、渡島半島南岸を走る街道(通常、松前街道と言えば、この函館・松前間の道を指す。)
もう一つが、この津軽半島東岸を走る道である。
この道は既に説明済みであるが、松前藩の殿様が北海道の道の松前から三厩に船で渡った後津軽半島東岸外ヶ浜を縦走し、油川乃至青森で奥州街道に合流するまでの参勤交代の道。
僕も気分だけは松前藩のお殿様気分で、快調にもう一つの松前街道を走った。
 
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何回か休んだ場所で風景写真を撮った。
この灯台の名は平館(たいらだて)灯台、もうここは陸奥湾の領域である。
 
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外ヶ浜の集落の典型的な風景であるが、ここを江戸時代には松前の殿様一行も通って行ったのである。
何度か車を降り、何度か写真を撮っている間に、今日の最初の目的地である蟹田が見えて来た。