越野タケと太宰治が再会した小泊の街を少し歩きたかった。
タケの婚家の越野金物店跡や太宰が越野家のことを聞きに行った”筋向ひの煙草屋”さんを探して行ってみたかった。
だが時間的な制約もあり、二人が再開を果たした運動会が行われていた運動場と、タケに誘われて行った竜神様だけにした。
小説『津軽』の像記念館」のすぐ下に、再会した小泊小学校(旧小泊国民学校)の運動場はあった。
 
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そのグランドの隅に、「太宰とたけ再開の道」の道標が建てられていた。
 
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「太宰とたけ再開の道」の道標は、二人のゆかりの場所には必ず建てられている。
この道標には小説『津軽』の一節が書かれている。
 
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掛小屋へはひり、すぐそれと入違ひに、たけが出て来た。
たけは、うつろな眼をして私を見た。
「修治だ。」私は笑つて帽子をとつた。
「あらあ。」それだけだつた。
 
 
次に、太宰がタケに誘われて行った竜神様に行ってみた。
 
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小説「津軽」の像記念館の職員から龍神様までの経路地図を貰ったので、この地図に沿って、黄星印の記念館から赤星印の龍神様まで、小説『津軽』のシーンを思い浮かべながら、太宰とタケが歩いた道を歩いた。
 
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老朽化した町営住宅の横の道をしばらく歩くと、道の両側にススキが繁茂している、ありふれた山道となった。
こんな風景の中を2分も歩かないうちに、龍神様が見えて来た。
 
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龍神様は新しく建て替えられていて、太宰とタケが歩いた時代の面影は全くなくなっていた。
多分この辺りで、強くて不遠慮な愛情のあらはし方と小説「津軽」に書かれたタケの名シーンが演じられたのだ。
 
「久し振りだなあ。はじめは、わからなかつた。金木の津島と、うちの子供は言つたが、まさかと思つた。まさか、来てくれるとは思はなかつた。小屋から出てお前の顔を見ても、わからなかつた。修治だ、と言はれて、あれ、と思つたら、それから、口がきけなくなつた。運動会も何も見えなくなつた。…」。
 
感動のこの場面は、小説「津軽」のラストシーンでもある。
太宰は独白する。
 
私は、たけに似てゐるのだと思つた。きやうだい中で、私ひとり、粗野で、がらつぱちのところがあるのは、この悲しい育ての親の影響だつたといふ事に気附いた。
私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはつきり知らされた。私は断じて、上品な育ちの男ではない。だうりで、金持ちの子供らしくないところがあつた。
 
そして、小説の最後を、太宰はこう結ぶ。
 
「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。絶望するな。では、失敬。」
 
太宰とタケに圧倒されて、小泊の旅は終わった。