深浦町の散策の次の目的地は秋田屋旅館である。
秋田屋旅館は、今はふかうら文学館として一般公開されている。
 
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文学館へ向かって、太宰が「何かあきらめた、底落ち着きに落ち着いている」とその印象を書いていた深浦町の1本路を歩いていく。
落ち着いてはいるが、前に歩いたことがあるような懐かしさを感じさせてくれる静かな北のまほろばの湊街である。
 
十分足らずでふかうら文学館に到着した。
 
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ふかうら文学館は昭和5年に秋田屋旅館として建てられた建物で、昭和19年と20年に太宰治が宿泊したことで知られている。
建物は木造2階建て、寄棟、金属板葺きで、1・2階とも道路側が全面ガラス入り、正面の玄関屋根は唐破風の形式で作られている。
1階は事務室や図書室・研修室となっていて、2階が展示室となっている。
2階には、太宰宿泊の間太宰治の間大町桂月の間成田千空の間深浦と文学の間などがある。
 
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ここが太宰治宿泊の間、太宰が小説「津軽」の中で、「汚い部屋に案内され、ゲートルを解きながら、お酒を」と書いていた部屋である。
 
太宰のような富裕層に生まれた人から見ればそう見えるが、僕のような三十前の若輩者には、普通の小奇麗な部屋にしか見えない。
太宰がお酒を注文すると、意外な程早く、お膳とお酒が出た。
 
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上の写真は、この時の料理を再現したもので、鯛や鮑が並んでいる。
小説「津軽」の旅は1944年(昭和19年)5月のこと、時は第二次世界大戦中のことで、太宰は三十五になっていた。
翌年は終戦の年、この旅の頃は日本の敗戦が濃くなっていたはずである。
太宰はこう書いている。
 
「お膳の上には鯛と鮑の二種類の材料でいろいろに料理されたものが豊富に載せられている。鯛と鮑がこの港の特産物のようである。お酒を二本飲んだが、寝るにはまだ早い。」
 
飲み足りなくなった太宰は、この後秋田旅館を出て、料亭二葉で飲み直す。
太宰宿泊の間太宰治の間などを見ていると、太宰の残り香が今でも部屋の中に漂っているように感じた。
 
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太宰治の間から通り越しに深浦港が見えた。
この景色は、太宰が見た当時と今もほとんど変わらないのだろう。
 
「完成された街、底落ち着きに落ち着いた街」と太宰が書いた気持ちが、僕にもわかるような気がした。