それでは、深浦町の散策である。
 
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赤地に白文字で表記された箇所が、深浦で太宰治が訪れた場所である。
円覚寺料亭二葉秋田屋旅館元郵便局海辺元灯台である。
 
まず、円覚寺である。
太宰は円覚寺訪問をこう書いている。
駅から真っ直ぐに一本道をとおって、町のはずれに、円覚寺の仁王門がある。この寺の薬師堂は、国宝に指定されているという。私は、それにおまいりして、もうこれで、深浦から引き上げようかと思った。完成されている町は、また旅人に、わびしい感じを与えるものだ。
 
 
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荘厳で絢爛な仁王門に向かった。
太宰のように、円覚寺の薬師堂だけは見たいと思った。
深浦の町を代表する史跡を見ないでは、旅人としてここに訪れた価値もなくなる。
 
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仁王門を抜け、石畳のりっぱな参道を上がっていくと、円覚寺境内の一角に、古びた堂があった。円覚寺薬師堂である。
 
円覚寺は、坂上田村麻呂創建のお寺で、青森県最古の建造物。
古くから海上交易従事者の信仰を集め、日本海海運史上の貴重な信仰資料を所蔵していることで知られている。
ここには国の重要文化財に指定されている、寺宝の薬師堂内厨子がある。
厨子は仏像・仏舎利・教典・位牌などを中に安置する仏具の一種で、平安時代末期に平泉の藤原基衡(もとひら)が寄進したものと伝えられている。
 
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国宝ということで、住職の許可がなくては一般人は見る事が出来ないのだろう、入口の鍵はしっかり閉ざされたままだった。
北前船などを通じ、日本の様々な地方との交流が感じられる深浦の町は、古くから津軽ではないような、いわゆる文化的でひらけた町だった。