網走での宿舎「旅館みゆき」にいる。
 

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 僕の「オホーツク街道の旅」のブログはこれが最後である。

 「旅館みゆき」はそうとう古い建物で、歩くと床の沈む箇所が随所にあり、ここの夕食も総見栄えのしない普通の家庭料理で、小樽の北運河「かもめ屋」の食事を思い出した。この日でオホーツク人を求めての半分考古学者のような旅が終了となり、随分安心したせいか、缶ビールを風呂上がりに2本飲み、夕食の際には大瓶1本を呑みきった。

 旅館みゆきの女将さんは見た目50代の方で、ご主人は旅館とは別の仕事もされているとのことで、女将さんがこの古い旅館を事実上仕切っている様子だった。

 今までの旅館の方すべてに「昨日までは寒くてストーブを出していたんですよ。」と言われた。どうやら僕の旅と共に、北海道内の初夏は進行しているらしい。
 小樽へ着いた朝方を除き、気持ちの良い好天の日々がここまでは続いていた。

 今回の旅は猿払川などでイトウ釣りに挑む計画を当初からしていた関係で、大小2種類の道北中心の北海道地図を事前に作成した。
 

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 その地図の上に、今回の旅に携えてきた書物を並べてみた。

 右上から「日本の探検家たち」、司馬遼太郎の単行本「オホーツク街道」、文庫本「オホーツク街道」、左下から小樽案内書「小樽 小林多喜二を歩く」、「井上靖と旭川」、「カムイたちの末裔」である。

 もっとも、司馬遼太郎の単行本「オホーツク街道」はこの旅館の書棚に入っていたもの。「旅館みゆき」の女将の旦那が網走文学同人ということで、郷土文学関係のかなり充実した書籍類が本棚に並べられていた。

 もちろん、米村喜男衛氏の著作である「モヨロ貝塚」も蔵書の中に入っていた。

 この米村喜男衛氏の著作である「モヨロ貝塚」を、司馬遼太郎はオホーツク街道の旅の前に2回通読したという。「モヨロ貝塚」は司馬遼太郎の旅の、かなり重要な参考書になったようである。

 僕は夕食を終え、ほろ酔い気分で旅館の食堂を出て、ふとそこにこんなポスターが貼ってあるのに気づいた。
 

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 まさに、僕にとっても、僕のオホーツク街道の旅は、「謎の歴史大陸 オホーツク探検」の旅であった。謎はほぼ解明され、僕はこのオホーツク探検の旅を、「司馬遼太郎の街道をゆく」を参考にしながらの旅の最初の旅に選んだことを、心から喜んだ。

 そして、僕の「オホーツク街道の旅」も、ここでひとまず終了である。