司馬遼太郎の街道をゆく旅を真似ての10年がかりの旅、自分の中で整理するために仮称「グレートジャーニー(街道をゆく;国内編)と銘打った旅を計画したのはまだ大学院生だった2年前のことである。
 
通信制の高校に就職してようやく落ち着いてきたので、先日その第1弾の旅「オホーツク街道」を実行した。
 
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        枝幸町のオホーツク博物館の講演会ポスター
 
この7月4日に北海道から帰って来たところである。
 
その旅から2週間が過ぎた。
そろそろ旅の記録をブログに書いていこうと思い立って、今日から実行しているところである。
 
旅の前に、ブログのハンドルネームともなっている司馬遼太郎のことを、ある程度紹介しておく。
 
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司馬遼太郎は日本人であれば誰でも知っているくらいの著名な作家だが、どこで生まれ、どこの大学を出て、どんな前歴を経て小説家になったとか、いくつで亡くなったとか、その残された遺族はどんな人で、今はどうしているかなどということは、ほとんどの人が知らないでいるし、そんなことは知らないでも司馬遼太郎のことは良く知っていると、大部分の日本人は思っている。
 
日本人に限らず人間はそういうもの小説家ならば小説のこと、スポーツマンならスポーツのことを、つまりその人が活躍している本職の場面を知っていれば、それで満足しそれでその人を知ったということにしている。
 
では、ここで司馬遼太郎を解体してみよう。
 
司馬 太郎【しば りょうたろう;1923年〈大正12年〉87日生まれで1996年〈平成8年〉212日死亡】は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。
 
本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
 
旧制大阪外国語学校(新制大阪外国語大学の前身、現在は大阪大学外国語学部)蒙古語学科を卒業、産経新聞等の記者生活の後小説家となる。
 
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  彼は斜陽の故郷「旧制弘前高校」を受け、不合格となったことがある。
 
簡略に司馬遼太郎を紹介すればこうなる。
 
彼の小説家としての作風だが、歴史小説家としてはスコット以来の人物中心主義の流れを汲んでおり、直接には司馬遷における『史記』列伝の形式を範にした作家とみることができる。
 
ということで、では史記がいかなるものか、覗いてみることにしよう。