丙申堂は庄内藩の御用商人だった旧風間家の住宅兼店舗である。
風間家の祖先は、越後の国沢海藩(現在の新潟県中蒲原郡横越村)の武士で、村上で商人となりさらに酒田に移り、鶴岡には18世紀後半に移住したと伝えられている。
創業は1779年、庄内藩で呉服・太物屋を営み、幕末には鶴岡第一の豪商となった。
 
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丙申堂の間取りは上図のとおりであるが、説明の方に案内されたうちの赤字あ;通り、赤字い;板間のトラス状梁・大黒柱、赤字う;小座敷、赤字え;石置屋根を紹介する。
まず、赤字あ;通である。
 
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通りは長い廊下だが、板張りではなく長い石畳となっていて、こちらから向こうまで屋敷をつらぬいている。
 
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ここは赤字い;板間のトラス状梁・大黒柱で、広大な板の間に架ける梁をトラス状にして、大黒柱で支えている。
 
また丙申堂は、2005年に公開された藤沢周平原作の映画「蝉しぐれ」【海坂藩の騒動に翻弄される下級武士・文四郎(市川染五郎)とおふく(木村佳乃)の人生を描いた物語】で、クライマックスシーンが撮影されたロケ地でもある。
 
案内の方に続いて、映画の舞台の部屋となった赤字う;小座敷へ行った。
 
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この小座敷で、尼僧になる前にもう一度会いたいと手紙を送ったおふくと、手紙を受け取った文四郎が20年ぶりに再会する。
映画と原作では大部違っている。
映画はプラトニックであるが、原作はそんなものではない。
 
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二人はもう40歳前後になっていて、思い出話の後、ふくのほうから助左衛門(文四郎)に身を投げかけてきて、二人は抱き合う。
どのくらいの時がたったのだろう。
お福さまがそっと助左衛門の身体を押しのけた。
乱れた襟をかきあつめて助左衛門に背をむけると、お福さまは声をしのんで泣いたが、やがて顔を上げて振りむいたときには微笑していた。
ありがとう、文四郎さん、とお福さまは湿った声で言った。
「これで、思い残すことはありません」
 
映画のシーンを頭に残しながら、説明の方に続いて赤字え;石置屋根の見える二階に上がった。
 
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二階に上がるとさっそく、この建物の一番の特徴となっている石置屋根を見学した。
窓から乗り出して屋根を見ると、苔の生えたものまである約20,000個の石を敷き詰めた石置屋根が、視界いっぱいに広がっていた。
 
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屋根は2005年に24年ぶりに葺き替え工事されたが、一通り説明が終わってから、その作業の様子を階下のビデオでじっくり見た。
屋根の一番下に防水シートを敷き、その上に新しい杉皮を敷き詰め、きれいに洗った石を再び置きなおす作業は根気と手間が大変な作業で、国指定重要文化財の管理がいかなるものかがよくわかった。