高知城本丸御殿に入った。

高知城のある場所には戦国時代以前には大高坂山城または大高坂城と呼ばれる城が築かれていたとのことだが、現在のこの城は江戸時代初期に土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成した。

36階の天守は一豊の前任地であった掛川城の天守を模したといわれていて、一豊により河中山城と名付けられたが、高智山城と名を変えたのちに現在の高知城となった。

初代城主の山之内一豊とその妻が、本丸御殿では最初に出迎えてくれた。

ここには山之内家の家紋の土佐柏が展示されていた。

山内家の家紋はこの他にも、山内一文字と豊臣秀吉から貰った桐紋を独自にアレンジした土佐桐がある。

本丸御殿から本丸に入って2階まで来たが、高知城の模型が造られていた。

高知城がそのまま残っていればこのようないろいろな建物の建つ重厚な城郭となるので、その姿を見たかったのだが、まあ今となっては仕方のないことである。

最上階までまだのようだが、この階で高知城の構造を説明しているパネルがあったので読んでみた。

重は屋根の重数を見た外観を表し、階は内部の階層数を表しているが、高知城は4重6階の構造となっている。

ようやく天守最上階に到着して北方向を見ているが、風が強くて帽子が吹き飛びそうになる。

この方向からは丸の内高等学校や高知大学付属小。中学校や県警本部などが見える。

ここは絶好の撮影スポットとなっている東方向で、実に綺麗に高知の市街地が見渡せる。

ここは電車通りが見渡せる南方向で、土佐藩山之内家墓所や高知県本庁舎などがここから見えている。

西方向は窓がロープで固定されて開けられないようになっていたが、その理由は不明である

高知城見学を終え、高知ホテルに戻った。

夕食はこの部屋で、コンビニで買った弁当と鉄火寿司とゆで卵を、缶ビールを飲みながら食べて簡単に済ませた。