福島城址を出たのは午前11時半頃、国道339号(青森県弘前市から東津軽郡外ヶ浜町に至る一般国道)を小泊に向かって北上する。
 
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地図上では赤字3が十三湖、赤字4が目指す小泊である。
現時点で、1亀ケ岡遺跡-2縄文館-3十三港(安東氏遺跡見学)と見学完了し、午後からは4小泊(太宰治とたけの思い出の場所散策)と5龍飛岬(階段国道、津軽海峡冬景色歌碑等見学)を済ませ、今日の宿である赤星印龍飛旅館(外ケ浜町)に到着という日程の半分をクリアーした。
小泊では、出来れば太宰治とたけの思い出の場所を散策する予定でいた。
 
越野たけは、太宰治の幼少年時代の子守兼育ての親で、小泊に住んでいた彼女と30年ぶりに再会するシーンが、今回の旅で重要な参考書とした小説「津軽」のクライマックスそしてラストシーンとなっている。
 
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太宰がたけと再会を果たした旧小泊国民学校の運動場のそばには、小説「津軽」の像記念館が建っていた。
前庭もあり、りっぱな造りとなっていて、館の名前の由来となっている小説「津軽」の像(太宰とたけが並んで座っている像)が置かれていた。
 
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ここでの太宰は、母親の前でくつろぐ幸せな息子の姿である。
館内には、小説「津軽」の誕生から、小説「津軽」のたどった足跡、越野タケと太宰治の年譜、写真、思い出の品をパネルなどで解説していた。
 
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太宰の小説「津軽」のたどったコースに重ねて、僕の旅も今日明日と続く。
館内には在りし日のタケの姿と太宰を映像でとらえたビデオシアターや、タケが太宰との思い出を語る映像などがあった。
 
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 写真で見るタケは、なかなかの美人でしっかりした印象である。
 
 タケは12歳のときに津島家に年季奉公に入り、5年に渡って太宰少年の子守を努め、20歳で小泊の越野家に嫁ぎ、11人の子を生んだ。
 太宰が訪ねて来た時は46歳、それから昭和58年に85歳で亡くなるまでこの小泊で過ごした。
 タケは自分が苦労人なので、人には優しく話にはユーモアがあったという。
それでいて、いいものと悪いものの区別ははっきり言う人だったようだ。