フェリー「かもしか」蟹田脇野沢の間を1時間で航行する。
2013年の時刻表を見てみる。
 
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930()のことなので、赤四角で囲った第1便が僕の搭乗する便で、料金は9,530円となっていた。
 
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それでは津軽半島の蟹田に別れを告げ、下北半島の脇野沢へ向かって1時間の船旅の始まりである。
蟹田は風の街の名に相応しく、かなりの強風が吹いていたが、フェリーが欠航となる悪天候には程遠く、予定通りにフェリーかもしかは蟹田港を離岸した。
 
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太宰治や司馬遼太郎の歩いた蟹田の町がどんどん遠くなる。
そして、対岸の下北半島が少しづつ近づいてくる。
 
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930日第1便の乗客は10名程度しかいなくて、フェリーの客席はガラガラの状態。
どこに座ってもOKの、至れり尽くせりの超贅沢な船旅となった。
ただ、客室から外へ出ると、デッキはかなりの強風が吹いていて、手すりにしっかり捕まっていないと危険な状態となっていたので、ここに長くは居られず、ほとんどの時間を客席で過ごす事になった。
 
 そうこうしているうちに、鯛島が見えてきた。
 
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鯛島は、青森県むつ市脇野沢(旧脇野沢村)の牛ノ首岬沖約800mの陸奥湾上にある無人島で、その名の通り鯛に似ているから名付けられたといわれ、頭部は弁天島、尾の部分は立岩と呼ばれている。
しかし実際にはこの島は鯨似で、弁天島はどう見てもマッコウクジラの頭部と胴体。
弁天島に設置されている陸奥弁天島灯台が間近に見えてくると、下北着岸の準備となる。
 
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車に戻ってみると、フェリーに乗っていたのは、たった3台だけだったということを知った。
僕のような旅人にとっては便利な航路なので、いつまでも存続してもらいたいと思うのだが、地元民にとってはどうなのかが少々気にかかった。