3月14日の新聞記事などを引用、改編。

何か色々と知らない事だったんですが、

「日新館」て、冠婚葬祭業を営む、

神保グループって会社の所有なんですね。

その神保が、3月13日に、

「運営を巡る一切の権利を市に寄贈する」

と、市や市議会に申し出たそうで、

室井照平市長は、

「内容を精査した上で慎重に検討し、

市民や議会の意見を聞きながら判断したい」

と取材に対して返答。

神保が提出した要望書によると、

「地域の観光振興や経済活性化につなげ、

會津藩の歴史や先人の教えを

後世に伝えるため、

日新館を市に寄贈し、

公共的な団体に運営してもらうのが

最も望ましい」

としていますが、

本業の冠婚葬祭業が激しい競争環境にあり、

新たな事業展開や本業に特化せねばならない、

と言った事情があるようです。

室井市長は昨年の市議会九月定例会で、

「日新館を、市街地にある鶴ケ城隣接地へ」

移転の可否を検討したいとしてましたが、

神保は要望書で、

「可能な限り現在地から移転しない形で検討」

する事を市に求めているようです。

元々、日新館は、ご存知のように、

會津戦争で焼失しましたが、

1987(昭和62)年、

旧若松ガスグループの観光部門を担う、

株式会社会津武家屋敷が、

旧河東町(現会津若松市河東地区)に

総工費34億円をかけて復元。

ちなみに、お城から北に約8k mの位置。

その後、経営難により、神保に譲渡。

これが、2006(平成18)年。

現代の日新館は、

総敷地面積は約12万5千平方メートル。

当時の東西120間×南北60間が…

2万3千平方メートルって、

頑張ったんだねぇ…

現在の日新館敷地内には、

大成殿(講堂)、大学(講釈所)などの建物、

水練水馬場、天文台が復元されている。 

天文台の跡は、お城近くにありますね。

そう言えば、この神保さん。

日新館の隣に移築されていた、

「旧岡崎家住宅」の所有もされてたんですね。

元々は矢吹町中畑にあって、

1770年頃のものだそうですが、

1988年に、日新館再建とともに移築。

翌年には、県重要文化財指定だそうです。

ところが、かやぶきの屋根が落ちるなど、

荒廃が進んだために、

県文化財保護審議会(伊藤喜良会長)が、

2019年9月3日にこれを解除。

理由は、

「破損が酷く、

文化財として価値が損なわれた」

これは異例だそうですが、難しかったか.

ついでに、旧岡崎宅のデータですが、

建物の幅は約28メートル、

奥行き約10メートル、高さ約8メートル。

当初は江戸時代の資料を展示したり、

子供たちに当時の暮らしを伝えたりなど、

大いに活用されていましたが、

現在は屋根の半分がなくなり、

梁(はり)の一部も失われた。

倒壊の危険性もあり、

建物の前には「立ち入り厳禁」のプレート。

掲げられている。

県教委によると、数年前から神保と、

修繕や保存に関する協議を重ねたが、

修復の見込みが立たず、

指定解除となったそうです。

文化財に詳しい関係者からは

「江戸時代中期の建物は貴重なもの。

もったいないことだ」

言うのは簡単なんだよな…

2020年3月11日。水曜日。
東日本大震災が起こった日です。 
14時46分。9年後でも忘れません。
金、日、月、火、水、金、土、日、水…
曜日が同じだと、
よりあの日の光景が甦るそうですが、
異なっていても変わりませんね。


そう言えば、
宮城県名取市の震災メモリアル公園で、
黙祷の後、虹がかかったそうです。


今年は、コロナ禍とでも言うべきか、
あの日を思わせるような光景が、
あちこちで見られますが、
人間て進歩しないのかな…

少しでも早く、多くの人が納得出来る、
そんな日が一日でも早く訪れる事を、
心から願ってやみません。
あの日、被災された方々に、
心からお見舞い申し上げるとともに、
亡くなられた方々の御冥福を、
心からお祈りいたします。



2020-2/28福島民友から引用、改編。

「攬勝亭(らんしょうてい)」という

會津三庭園の一つ(會津若松市柳原町)が、

宅地開発される見通しとなっている。

(残り二つは、御薬園と可月亭)

このまま造成されれば、

庭園の形状が失われることになり、

「文化財的な価値があり、

會津の築庭史研究にとっても重要な庭園」

が失われるため、専門家の方も、

「残念としかいいようがない」

と肩を落としています。

攬勝亭は、天元(978〜983)年間に

景勝地とされた庭園で、元々は、

江戸時代に藩士の身分を持つ豪商である、

長尾氏の邸宅内にあった庭園で、

藩祖・保科正之公が命名。

それを、三代目・正容公が、

江戸時代初期の作庭家、

小堀遠州の流れをくむ目黒浄定に命じ改築。

八代・容敬公を補佐して信任の篤かった家老、

丹羽能教が隠居後に住んだ事もあります。

(丹羽能教。丹羽五郎の曽祖父。
小田山山頂にお墓がある人)

九代藩主・容保公の歌碑があったり、

与謝野晶子なども訪れたとかで、

歴史的な価値もあります。


長尾氏の邸宅は戊辰戦争で焼失し、

庭園と茶室(?)くらいしか残っていない。

また、元・佐藤歯科医院の敷地、

つまりは私有地のため、観光も出来ず、

手入れが行き届いていなかった。


こんな感じだそうです…

攬勝亭の敷地は、

仙台市の不動産会社が購入して、

開発許可を市に申請、受理されたため、

今回の件に至っています。

ちなみに、

三庭園の残り二つ、

御薬園(同市花春町)は国指定名勝、

可月亭(同市材木町)は、

敷地内の建物が国の登録有形文化財。

ところが、攬勝亭は未指定だった。

市教委が、文化財としての価値を確定すべく、

調査を試みたが、当時の所有者との調整が、

うまくいかずに断念したという。

その結果、市教委は、

「開発を止める法的な根拠がない。

できるだけ図面や写真で記録する」

としたが、宅地造成を進めるという。

県文化財保護指導委員の長尾修さんは、

「文化財指定の網を掛けることが

できなかったことが悔やまれる。

市内には、

未指定で文化財としての価値が高いものが

まだまだ多くある。

取り組みが必要だ」

と指摘した。

久々のブログが暗い記事だな…