何処かで書いたかもしれないけど、
見つからなかったのでこちらへ。

『近藤勇と小島韶斎』より。


1863(文久3)年6月2日(4月16日)は、

松平容保公の御前で、

浪士組が稽古を披露した日。


一、土方歳三-藤堂平助

二、永倉新八-斎藤一

三、平山五郎-佐伯又三郎

四、山南敬助-沖田総司

五、川島勝司 右棒術

六、佐々木愛次郎-佐々木蔵之丞 

(柔術)


この組み合わせの一部しか分からず、

追記で入れたかったんですが…

なかなか豪華な組み合わせですね。

特に、二番とか…


4月11日の福島民報から。

鶴ケ城天守閣にある、

若松城天守閣郷土博物館で、

収蔵品展「会津松平家」が開幕した。

(4/10から5/12まで)


内容は、

保科正之公から松平容保公までの、

九代わたる歴代藩主の肖像を一堂に展示。

正之らの書、家系図、など約二〇点。

そして、個人的に特筆すべきは、

山川浩がしたため容保が題字を記した

「家訓」!!!

レプリカは持ってます、というか、

會津の方は誰でも持ってるそうなので、

まあ、自慢にもなりませんが、

その本物が展示されてる…


なんでこの時期にやるかな…

會津はコロナ感染者0よ?

俺の我慢を誰か誉めて下しい…

皆様お久しぶりです。
お身体の具合はいかがですか?
自分は新型コロナよりも、
気温の寒暖差でやられたりしてます。
久々に深目に會津に触れたので、
日にち遅いですが、白虎隊の話。

1868年4月2日(慶応4年3月10日)。
は、白虎隊誕生の日です。
鳥羽伏見の戦いで近代戦の洗礼を受けた事で、 
長らく採用した長沼流を辞め
軍制改革を行う事により誕生。

要点となるのは三点。
・部隊の洋式化
・年齢別の編成
・農民町民の徴募

・洋式化
これはわかりますね?
重たい鎧をやめて機動性を増すなど、
西洋に倣った変更です。
後は火器銃器を主力にするなどです。
白虎隊はゲベール銃を装備してましたが、
時代遅れのものとなっており、
戸ノ口原の戦いでは、
僅か10挺のスナイドル銃に負けました(泣)


・年齢別の編成
これもわかりますね。
老若入り乱れた部隊では、
俊敏な若者、そうでない年配が混ざり、
機動性・運用性に欠けます。
10人の部隊としたら10軒から人を出す、
以前はこのやり方でした。

會津では、
玄武(50歳以上)、青龍(36~49歳)
朱雀(18~35歳)、白虎(16、17歳)
の4隊に分けましたが、中でも、
朱雀が一番精鋭でした。
さらに身分ごとに、
士中隊、寄合隊、足軽隊に区別しました。
ちなみに、飯盛山での自刃で知られるのは、
白虎士中二番隊です。


ついでに、會津で長く採用されてた、
長沼流や軍学について。

始祖は、長沼 澹斎(ながぬま たんさい)

1635年7月12日(寛永12年5月28日)生

1690年12月21日(元禄3年11月21日)没。

千人の門人がいたと言われ、高弟の一人、

佐枝尹重が會津に伝承し、幕末まで、

日新館で教授された。

ちなみに、孝明天皇に披露したのも長沼流。


會津といえば、山鹿素行

1622年9月21日(元和8年8月16日)

1685年10月23日(貞享2年9月26日)

なんですけど、この人は藩士でなく浪人。

だから追放云々で話がありますが、

會津からではなく、江戸で朱子学批判をして、

なので、関わりは出身というくらいか。

江戸時代には、長沼流と山鹿流が双璧でした。


ただ軍学というと、戦の経験もないのに、

いわゆる机上の空論のやうに思われていた、

という節もあり、


軍法とは、

軍中にて士卒をまとめる方法、決まり。

兵法とは、

兵士の組合せ、鳴り物の合図など、

作法や挙動をまとめたもの。

だから、

甲州流・謙信流などは、軍法といわず、

軍術というのが正しい。


まあ、言葉の意味がゴチャまぜになるのは、

今も昔も変わらないというか。


そう言えば、

福島でもコロナ感染者出ましたが、

會津は0なんですよ!!

東日本大震災の時に沸いた放射脳みたいに、

「會津、會津」言うやつは、

本当に○ねばいいのにね。

有名ゆえに辛いとこね。