1959(昭和34)年に設立され、

二つの湖で計4隻の観光船を所有。

白鳥の形をした遊覧船でお馴染み、
猪苗代湖と桧原湖で観光船を運航する会社、
「磐梯観光船」(猪苗代町、高橋幸子社長)
が、破産手続きをしたそうです。
(福島地裁会津若松支部、あて)
ちなみに2020年6月15日には事業停止。

昭和天皇が、
ダイヤモンド婚で乗船されたかめまる、
はくちょうまるなどが人気で、
最盛期は、
年間約10万人の乗船客がいましたが、
・客足の伸び悩み
・レジャーの多様化
・東日本大震災での風評被害
そして、
新型コロナによる影響で413日から休業。
かき入れ時の春の大型連休に営業できず、
夏場の需要も見込めないことから、
事業継続を断念するに至り、

615日に事業を停止しました。

「最後に

もう一度だけでも運航したかったのですが、

実現することができず、本当に残念です」

とのコメントがホームページに掲載。


自分も、猪苗代湖ってあのイメージで、

乗ったことはなかったんですが、

一生来ないであろう

「新婚旅行のために!」

なんていわずに、

さっさと乗ってればよかったです。






2020.4/26の福島民友より。


明治9年の士族の反乱と言えば、

神風連、萩、ちょっと落ちて秋月

なんかが頭に浮かぶでしょうか。

そして、し、の字も出ない事が多い、

我が會津の旧藩士の起こした、

「思案橋事件」があります。


その参加メンバーである竹村俊秀、

その御子孫の方が、會津若松市教委に、

刀や手紙などの資料を提供しました。


手紙は、

家族や親戚などの身内宛てが主、

日付はあっても年がない

という、ちょっと困ったちゃんなもの。

まあ、色々あったしねぇ…


市教委文化課の近藤真佐夫主査は、

「大切に保管し、将来の研究に役立てたい」

している。


さて、御子孫の竹村雅夫さんは、

神奈川県藤沢市議をされており、

遺品整理でこれらのものを発見し、

「會津で歴史資料に活用してもらいたい」

と、寄贈を決意したそうです。

「刀などを一番帰りたい場所に帰せた」

と語りましたが、涙ぐみませんか?

4月には、竹村家の菩提寺である、

浄光寺(會津若松宝町)で法要する予定、

だったのに、コロナで中止になりました…

というか、御子孫いらっしゃったんですね。

ありがたいことです。


【竹村俊秀】

18451877.2/7

竹村助兵衛の長男、通称幸之進。

山川大蔵・小出光照との仲良しトリオの一。

小出ではなく春日佐久良の説もあり。


奥羽越列藩同盟で、

仙台藩使節・玉虫左太夫を感服させる、

彼岸獅子入城を経て、

籠城戦では選抜されて狙撃隊の隊長に。


狙撃隊には、明治時代、

東郷平八郎の後任で、

常備艦隊司令官に就任した、角田秀松がいる

この役職は、その前身時代から、

薩長肥の出身者が占めていたが、

角田はその三藩以外から初めて就任。

ちなみに會津初の将官。

初めて海軍大将になったのは出羽重遠。


竹村に戻って、

戦後、斗南で県官と揉めて上京。

芝・増上寺の徳水院の日新館()の校主に。 

思案橋事件では、萩との連絡役を務める。

思案橋にはいなかった。

事件後に浅草山川町で潜伏中に逮捕され、

高津仲三郎、井口慎二郎とともに刑死。

お墓は四谷の源慶寺。