1959(昭和34)年に設立され、
二つの湖で計4隻の観光船を所有。
6月15日に事業を停止しました。
「最後に
もう一度だけでも運航したかったのですが、
実現することができず、本当に残念です」
とのコメントがホームページに掲載。
自分も、猪苗代湖ってあのイメージで、
乗ったことはなかったんですが、
一生来ないであろう
「新婚旅行のために!」
なんていわずに、
さっさと乗ってればよかったです。
1959(昭和34)年に設立され、
二つの湖で計4隻の観光船を所有。
6月15日に事業を停止しました。
「最後に
もう一度だけでも運航したかったのですが、
実現することができず、本当に残念です」
とのコメントがホームページに掲載。
自分も、猪苗代湖ってあのイメージで、
乗ったことはなかったんですが、
一生来ないであろう
「新婚旅行のために!」
なんていわずに、
さっさと乗ってればよかったです。
2020.4/26の福島民友より。
明治9年の士族の反乱と言えば、
神風連、萩、ちょっと落ちて秋月
なんかが頭に浮かぶでしょうか。
そして、し、の字も出ない事が多い、
我が會津の旧藩士の起こした、
「思案橋事件」があります。
その参加メンバーである竹村俊秀、
その御子孫の方が、會津若松市教委に、
刀や手紙などの資料を提供しました。
手紙は、
家族や親戚などの身内宛てが主、
日付はあっても年がない
という、ちょっと困ったちゃんなもの。
まあ、色々あったしねぇ…
市教委文化課の近藤真佐夫主査は、
「大切に保管し、将来の研究に役立てたい」
している。
さて、御子孫の竹村雅夫さんは、
神奈川県藤沢市議をされており、
遺品整理でこれらのものを発見し、
「會津で歴史資料に活用してもらいたい」
と、寄贈を決意したそうです。
「刀などを一番帰りたい場所に帰せた」
と語りましたが、涙ぐみませんか?
4月には、竹村家の菩提寺である、
浄光寺(會津若松宝町)で法要する予定、
だったのに、コロナで中止になりました…
というか、御子孫いらっしゃったんですね。
ありがたいことです。
【竹村俊秀】
1845~1877.2/7
竹村助兵衛の長男、通称幸之進。
山川大蔵・小出光照との仲良しトリオの一。
小出ではなく春日佐久良の説もあり。
奥羽越列藩同盟で、
仙台藩使節・玉虫左太夫を感服させる、
彼岸獅子入城を経て、
籠城戦では選抜されて狙撃隊の隊長に。
狙撃隊には、明治時代、
東郷平八郎の後任で、
常備艦隊司令官に就任した、角田秀松がいる。
この役職は、その前身時代から、
薩長肥の出身者が占めていたが、
角田はその三藩以外から初めて就任。
ちなみに會津初の将官。
初めて海軍大将になったのは出羽重遠。
竹村に戻って、
戦後、斗南で県官と揉めて上京。
芝・増上寺の徳水院の日新館(仮)の校主に。
思案橋事件では、萩との連絡役を務める。
思案橋にはいなかった。
事件後に浅草山川町で潜伏中に逮捕され、
高津仲三郎、井口慎二郎とともに刑死。
お墓は四谷の源慶寺。