2月7日と言えば、思案橋事件の首謀者三人、
高津仲三郎、竹村俊秀、井口慎次郎
が処刑された日です。
彼等が眠る四谷・源慶寺に御墓参りをし、
その後は、いつもであれば、
・容保公関連の史跡
正受寺(初めに埋葬された御寺)
松平子爵邸辺り
・斎藤一や徳川慶喜の終の住処
等に行きます。しかし、
今回は趣向を変えて、港区・三田へ。
目的は実相寺。
4.5代目藩主とも言える、松平容章公。
容保公の次女、泡玉院。
この二名の御墓参りの為です。
簡単におさらいすると、
容章公は、四代目藩主・容貞公の弟。
會津藩唯一、一代限りの分家の当主。
6歳で藩主となった容頌公の補佐を務める。
子の無い容頌公に、自身の嫡男
容詮(かたさだ)を、養子として
本家の相続を図る。
しかし、容詮公が藩主就任前に病死。
幸い、子がいたため、本家は相続。
その子が六代目・容住公。
自身の家は、
次男・容序に相続させようとしたが、
若くして亡くなり、以後の後継者がなく、
容章公の家は断絶した。
さらにいえば、
本家に送った嫡男の血筋も、容住公の子、
七代目・容衆公で途切れた。
中興の祖と言われる容頌公、
名宰相・田中玄宰
が、同時代にいたために影が薄い。
さらにいえば、この時代自体が人気が無い。
本家が将軍家に忠を尽くす、
ようは主家に尽くす藩是なら、
この人ほど會津を体現する人はいない、
と思うんだけど、とかく影が薄い。
泡玉院は、
産まれて2日で他界した容保公の姫。
母は名賀で、いわゆる、
容保公の二人の側室の内の可哀想な方。
なんで可哀想かというと、
容保公には10 人子供がいて、
側室二人は交互に子を産んでるけど、
長女→ 容保公最初の実子。
だけど、女子なので…
次女→生まれて2日で他界。
長男、次男双子→生まれた日に他界。
三男・恒雄氏→この方でようやく…
それにしても、自分が行くまで、
御墓参りをされた跡がないんだけど、
どうにかならんのか?



