短刀の話絡み。

代々の會津松平家が誇る家臣の家、
と言えば、真っ先に挙がるのは、
というか、唯一無二なのは、
「田中」
ではないでしょうか。

なんと言っても、初代藩主・正之公が、
「ねぇ〜會津帰らないで、近くにいなよ〜」
と、「お前、會津を潰す気か?」な、
家光のオネダリを正之公が聞いても、
まったく藩政が滞らなかった。
それは、田中正玄がいたこらこそ、
と言っても過言ではありません。

そして、その子孫には、
・玄宰
→日新館を作ったの初め、
だらけてきた藩を建て直した

・玄清(通称・土佐)
→幕末に容保公を補佐。
実質上、新選組の生みの親、
正清(土佐)がいますね。

・清玄
→昭和の共産から右翼の大物に。
南方熊楠の親類とともに、
イギリス・ロイズ社の日本人会員。
現代も、日本で二人だけ。

隠れ過ぎじゃない?


さて、會津戦争の初期、
田中土佐が自害した甲賀町口石垣ですが、
ただ1つ現存する、郭門の一部だそうです。
全部で16あったそうですが、
明治の民間払い下げやらなんやらで、
こういう施設も壊されたりしたんですね。
明治から昭和にかけては、
城内にあった鐘撞堂が置かれていましたが、
第二次世界大戦後城内に戻されたそうです。


あなたの美肌の秘訣は?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう


わたし、おっさんだけど、
結構女性から、
まつ毛長いとか、肌綺麗とか言われる。
秘訣?
はじめに水で顔洗って引き締めてから、
石鹸とか化粧水使うといいらしいよ。
福島民報(2019年4月18日)
から、引用と改訂。

さる17日。

會津戦争時の家老・田中土佐が、

自刃前に長女の此(この)に託した、

短刀(16.2cm)が、

県立博物館(會津若松市)に寄託された。


土佐の玄孫の木暮陽子さんが、

夫の美奈夫さん(72)と共に持参し、

會津に戻るのは、約百五十年ぶり。

博物館は公開を検討しているそうです。 


陽子さんが先祖から伝え聞いた話によると、

幼かった此は會津戦争の際、

短刀を持ち炭俵に隠れ城下を逃れた。

何かあったら短刀で喉を突くように」

と言われていたという。

横須賀(浦賀)に落ち伸びて成長、

後に浅羽家に嫁ぎ、

子孫が短刀を受け継いできました。


陽子さんは幼いころ、

此の長女故・浅羽ユキ(陽子さんの祖母)

と同居しており、

短刀にまつわる話を聞いていたそうです。

県立博物館は田中家屋敷跡付近にあり、

「(屋敷跡の)近くに持ってこられて

良かった」

と話した。 

寄託を受け付けた栗原祐斗学芸員は、

「城下の女性の動きを示す証言はあるが、

物で伝えるのはあまり例がない。

切迫した状況を伝える意味で貴重」

としています。 

また、木暮さん夫婦は、

新選組幹部斎藤一の妻となった、

高木時尾を撮影した古写真なども寄託。 

陽子さんの祖母ユキは、

斎藤の次男剛に嫁いだため、写真が伝わった。

晩年の時尾が鮮明に写り、

一九〇七(明治四十)年撮影と裏書。

博物館によると、

「時尾の容姿を詳細に確認できる珍しい写真」

だという。 

他に、此が幼児を抱く古写真、

此の晩年の古写真、

斎藤が近藤勇からもらったと伝わる根付

も寄託した。

博物館は短刀とともに公開を検討している。


言いたい事は色々ありますが、
時尾さんの写真がみたいですね。
あと、浅羽って、
浅羽忠之助の一族なんでしょうか?
あの、ずーーっと、容保公に付いてた人。