一般的に江戸時代は「士農工商」や「穢多・非人」と言う身分制度があったとされるが実際はどうであったのか?
先ず、士農工商と言う言葉は中国で使われていた言葉で明治時代に日本に入ってきた言葉である。
そして、「士農工商穢多・非人」と言う身分制度は生まれついた身分以外の身分になることが難しいということになっている。
しかし、当時の村方の記録や戸籍のようなものである人別帳、分限帳を見ると百姓は農林水産業に従事している村の住人というだけであり、町へ出て職人や商人になれば町人と呼ばれ、その中で革の加工や芸能など当時の価値観で不浄とされる仕事をした者は穢多と呼ばれたが、武士として新規に取り立てられる場合もあれば身分を買うこともできた。
つまり、武士は公務員、百姓、町人、穢多は民間と言うような職業区分でしかなかった。
非人については人別帳、分限帳に載らない者のことで僧侶や神官、高貴な人、脱藩したり犯罪を犯して共同体を追放されたり世捨て人となった人、つまり一般的な社会に属さない人たちを非人と呼んだ。