洋式調練 | 佐倉藩陣中日誌

佐倉藩陣中日誌

下総国佐倉藩11万石 堀田家家中 安政2年(1855年)改組
オランダ式調練を受けた佐倉藩歩兵隊の活動記録。



 

三兵戦術を導入するにあたり即座に陣形を組み歩兵、騎兵、砲兵が連携して戦えるよう洋式の大砲や小銃を迅速に取り回し、合理的な行進のしかたを訓練する必要があった。

洋式調練とは西洋式の軍事訓練のことで蘭式、英式、仏式と各国の兵式があり幕府や諸藩に導入された。

 

 

佐倉藩は終始蘭式の調練を採用しており、時代まつりで行っている洋式調練も当時と同じオランダの兵学書に基づいて再現しています。

 


Start→直れ。Hult→止まれ。Maart→進め。Salute→首へ銃。

初期はオランダ軍人から伝習された高島流の門人や蘭学者が教官で号令はオランダ語で行われており、太鼓やラッパの号令も聞き分けて動く必要があったが現場の将兵は混乱しながらも試行錯誤の結果、日本語の号令が生みだされていった。

 


しかし、士分に「直れ」と号令すると「そこへ、直れ」と誤解されたり、家格や年功の差で整列を拒否する者がいたり

歩調を合わせての行進がなかなかできず手と足を同時に出す者や摺り足になる者が続出し浸透するのに時間がかかった。

 

 

鉄砲や陣形に対する考えが深まっていた戦国はもとより江戸初期から長沼流軍学など西洋の用兵思想に近い戦術は存在していたが更に合理性を追求した洋式調練は武家には不評であったので、幕府や各藩は足軽や庶民からの徴集兵であるの農兵を取り立てようやく洋式調練は浸透してゆくことになる。