禅タロットカードのわたしなりの解釈です↑
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2年前くらいに福祉職の頃に書いた記事リライト。例によって荒んでたころの記事なので要所要所で口が悪いです。
以前に習ったインナーチャイルドセラピーを自分なりにいつかやりたいと思っているけど、ネックは技術的なことというより、自分自身の人間性の成熟度だと思っています。
少なくとも、自分が相手(かつての自分に似た人)に「この人になら話してもいい」と認められるに値する人格者になる必要があると感じています。
職場の利用者さんに感じた。
…今日は、彼女まるで6歳児だ、と。
お父さんかお母さんと喧嘩したのかな?と思う。
私は何も知らないふりをして、他愛のない世間話のふりをして、彼女の前で意図的に我が子の話をしてみた。
…だろうね。
あなたがそうなるのは。
客観性のない主観だけの話し言葉を理解するのは、難しいな。娘と話してるみたいだ。
まあ、今6歳児だから仕方がない。いつもは、もう少し冷静な話し方するんだけどな。
しかし「母親」って言ったな。なんだろ、この妙なその単語だけの冷静さ。混濁してるのか。
彼女はお母さんを呼ぶときの呼び方が七変化する。お母さん、母ちゃん、ママ。そして「母親」。
うーん、もしかして。
ああ、独語が出ちゃったのねえ。
まあ、しょうがないよねえ。
お部屋で1人で喋ってる分には仕方がなくない?
私だって一人暮らしの時は独り言ばっか言ってたよ。今だって言うよ。
あー疲れた!とか。
あ、明日の準備しなきゃ!とか。
…なんて、まあ、彼女はそんなレベルじゃないんだろうけどね。分かってるけどね。
たぶん、一人暮らしの頃の私の、何倍も喋ってたんだろう。絶え間なく、延々と何時間も。
話題がコロコロ次から次へと脈絡なく移り変わる、言葉のサラダ。
頭の中の思考回路を、ずーっと、牛の小便のような勢いで垂れ流し続けていたんだろうねえ。
(あれを、作業中にやられると、スタッフはともかく、ほかの利用者さんに迷惑なので、困る。)
そうすると、その流れでエピソードを語ってくれた。
「私が小学校一年生の頃、学校から帰って来て、ランドセルを床に放り投げたのね。そうしたらお母さんが目を吊り上げて、『なんてことしてるのよ! おばあちゃんが買ってくれたランドセルを!!』って、怒り方がまるで鬼みたいだった」
それを話す時の、お母さんの声色の真似が、本当に上手くて。流石、元放送部だ。
と言って涙ぐんでいる姿が6歳児だった。
とりあえず、聞く。
どちらと喧嘩したかで、語るエピソードは違う。
そんな言い方しなくてもいいよね、などと、ひととおり聞いてなだめた。
でも、ここはセラピーをする部屋ではなく、他の人もいる福祉施設で、作業もしてもらわなくてはならない…ずっと聞いていてはあげられない。
最後にはそろそろ戻って来なさいと呼びかけることにした。
ムッとしてた。
ごめんね。苦笑
でも、一瞬大人の表情に戻ったな。
よく、子供時代に戻るセラピーとかあるけど、本当に必要な人に対して、絵に描いたように上手く行くことなんてそんなに多くないと思う。
私はたまたま福祉職で、毎日会えるし。下手こいても何度でもリトライ出来る。
それに、彼女のように分かりやすく壊れてる人なんて、どんどん喋ってくれるから対話しやすいけど、そんなの稀だろうし。
人懐こさもなく、ナイフみたいに尖ってる人とか、触法行為をする人とかに私は対応できるのだろうか。
ここの人たちは草食動物のようだからな。
でもね、それは薬の影響…。薬は、心を鈍感にさせる。まあ、人によってはそれで幸せな人もいる。
例えば親にさ、誰かにさ、心身を殺されてきた人間の抑圧された怒りとか激しさ、危うさ、複雑さ、舐めちゃだめだわよ。
崩壊してしまった人に対応するには、甘えだとか非合理だとかそんな理屈や客観的な感情は、置いておかなきゃいけない。
そこは対応する人の、キャパシティの問題。
だから、「掘り起こす」「寝た子を起こす」のは、セラピストとクライアントの「信頼関係(ラポール)」だけでなく、両者ともある程度の「精神的な成熟」が必要だと思う。
人によっては無理ゲーだ。やらない方がいい。
まあ厄介なのが、プライドや知性が高い狡猾な人。それで自分の本音をプロテクトしている、一見普通を装う人。
話す言葉の8割が嘘で、嘘に嘘を重ねて自分でもどれが本当か嘘か分からなくなっていて、人格が迷子になっている人。
…私みたいな?
そういう人にとっては、セラピーは、イメージプレイ、ごっこ遊びの要素が強くなる。
あとは、幽霊を信じない大槻教授みたいな、理屈屋さんとかも、まあ困難だろう。
そういう人には常にどこか冷めてる自分(人格?)がいるから。
ごっこ遊びでも、茶番でも、イメージプレイでも、それに乗っかることで治るならいいやと、割り切って乗っかって私自身は治療した。
でも、人は選んだ。
「てめーごときのセラピー(茶番)に乗れるかボケ」という反抗心が出ない程度には、人間として、治療家として、尊敬出来る人で無ければならなかった。
正直で真っ直ぐで人として信頼できる真摯な態度、生き様がない人には、私には無理だった。
私のようにすぐに相手の欠点や嘘を瞬時に見抜き見下し幻滅する、捻くれた、根性ねじ曲がった人間がクライアント側に行くときは、素直になる努力が相当に必要だった。
クライアント視点で言えば、相手のことをあれこれ責めずに、ものごとに素直さで応じることは、相当な人格の鍛錬が必要なものだ。
意地を張って捻くれることで命を守って来た人間が、意地を張らないこと、素の子どもの自分を出すことは、命の危険を感じるので、とても難しい。幼少期から既に「素直で従順な子の演技」が板についている訳だから。
ちなみに「仕方がない、あなたなら許してあげるわ」と私が心を許し(てあげ)た治療家には、治してもらったというより、治させてあげた、とどこかで思っているのは内緒。
私側の、「素直になる努力」が無ければなし得なかったけど、仕方がない、あなたの手柄ということにしてあげてもいいわと。
(酷い言い草…🤣)
セラピーだと、儀式だと分かっていたら、ハッキリ言ってそんなん散々勉強したから、上部だけで望まれた会話をして、治ったふりも、感動したふりも出来ようもんだったけど。頑張って本音モードを保った。
でもね、それでも。
まあ、茶番も悪くないよ。
…実際少しずつ良くなってんだから。
でも、「内心興醒めしながら仕方なくセラピスト側の望む反応をしてやってる」クライアントも確実にいるからセラピストさんは、気をつけなはれよと思う。
ごっこ遊びが向かない人も、居るだろうかと。
治りたい気持ちより、怒りや、プライドや、知性や、他人(治療者)を馬鹿にする気持ちが大きい人は、乗っかってくれないと思う。
分かりやすいちゃぶ台返しをされずとも、心の中でドン引きされて、陰で文句言われて、二度と来なくなったりするかもね。
逆に、クライアント側は、治りたいなら、運悪くド下手な人に当たっても、ある程度は我慢すべきなのかも?
いや、限度はあるよな…😂
どこか驕りや傲慢さ、相手に対する失礼さが見え隠れする自称セラピスト、治療者も、ハッキリ言って結構いるしな。
優しくて何でも許容すればいいとも思わないし。
まあ、人生の全ての出来事は、その時その時で役割(仮面、ペルソナ)を演じきる、ごっこ遊びなんだけどね。
そうそう、
職場の彼女は子どもが大好き。
うちの子に、プレゼントをくれたこともある。
基本的に利用者さんからのプレゼントは受け取ってはいけないことになっていたのだが、たまたまその時の上司が許可してくれたので、受け取った。
子どもが好き。
そう言っている人は、自分の子供時代に何かあるんだろうか?
果たし得なかった望みが。
それを埋めるための何かが。