2022年7月の記事 職場のメンバーさんの雰囲気。





欠点ばかりの人たちが凸凹のまま

ありのまま

面白おかしくただそこにいる




ある人は自分のことばかり話したがる

またある人は他人の面倒をやたら見たがる癖に自分はあちこちに大切な忘れ物ばかりする

人の役に立っているつもりで足を引っ張っていたり

自分が中心にならないと不機嫌になる人もいる


それぞれが自分のポジションがあって

みんな自分のことしか考えていないようで


でも


なんやかんや喧嘩せずに他者を尊重しながらやっている


あらあらやれやれおやおやまあまあ…

と思うことは多々あるけれども


噛み合わないように見える

歪でコミカルなコミュニケーションが

ズレたまま何となく調和している


その奇妙でドタバタした日常が

ある意味愛に溢れているように思う


自然に笑みが溢れる


病気なんだ異常なんだという視点や色眼鏡じゃなくて

ありのままの素のその人を見ると

奇妙な行動すら面白い


病名って何のために必要なの?

治すために?

…治るの?

治るってどういうこと?

性格を改造してロボットみたいに効率的に働けるマシーンになることが治ることだと思ってる人がいるのかもな

それで働き蜂のようになって心身を壊したらまた余計に病むけどな

終わりがないスパイラル


その人が無理をせずその人らしく普通に生きるってことが治ることなんじゃないのかな


精神疾患になるということは素で生きれてないということなんじゃないのかな


だから自分にとっての普通を思い出すしかないんじゃないのかな



病名があることで

無駄に悲壮感に囚われたり不幸に酔ったり

ドラマチックで滑稽な茶番が出来るね


病名は

お願い私に優しくして!と主張するための印籠にも出来るね


ほかは?

病名は

何の役に立ってるのかな?


ああそうか

病名が無ければ

みんなはここに辿りつかなかったんだねえ

あるがままでいられる優しいこの場所(福祉)に

病名があるから辿り着いたんだね


いいとか悪いとか

一方的には決められないのかもなあ

いいことも悪いことも抱き合わせで

ただそこにある


自分が無さすぎても生きていくのが危ういけど

自分が!自分が!と叫びすぎる人は迷惑で


持つべき主体性

許される範囲の我が儘


人は誰しもそれぞれ色んな個性を抱えながら

中庸、匙加減、バランスを学んでいくのだろう

それでもその人はその人にしかなれない





この人たちから大切な学びを受け取っていたのは、きっとわたしの方だったのだろうと思う。





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