2022.1.15 の記事 リライト
他人に対して、もっとこうしたらいいのに、とよく思う。
それを相手に押し付けたら奢りだけど、相手のことを「見えている」必要はあると思う。
その人が助言を求めてくれたり、どうしても必要がある時以外には特に何も口にする必要はないが、
その人の非効率さ、失敗を繰り返す原因、「仕組みや道理」を理解して置こうとは思う。
それは自分が他人をどうこう評することが目的ではなく、他人の盲点を通して自分自身の盲点のヒントを貰うことが出来るから。
福祉のスタッフは母親になってはいけないとよく上司が言っていた。
でも実際は、ほとんどの福祉スタッフは利用者を福祉に依存させるか、正しさを押し付けるか、肝心なことを見て見ぬふりをする、善良な常識人の仮面を被った「毒親」のようだと思う。
自立を支援していくことこそが、親(見守る側)の本当の仕事なのに。
大体世の中、本当の親であっても親の仕事が出来てない人が多すぎるんだよな。
まず親の本当の役割を誤解している人が、多すぎやしないか?
どんなに一見、人として正しくても、善良でも、子どもを1人立ちさせられなければ毒親じゃないのか?
自分で自分のこと何一つ出来ない大人に育てる親は毒親だよな?
まあ、それは自分の親が色々教えてくれたからそう思うのかな。
動物の方が子育てが上手い。
どの個体も我が子をちゃんとひとり立ちさせられるように子育てする。
親が、与え過ぎて構い過ぎて尽くしすぎて正しすぎて清らか過ぎたら、返って子どもの生存能力、奪うよな。
子どもに手伝って!
とか、
ごめん、それは無理!
って言える親で居ようと思う。
私は傾聴しながらとても冷たいことを思うし、他人の粗探しが得意だ。
素の自分は粗野で性格がかなり悪く根性ひん曲がっているし、すぐムカつくしイラつくしテンパる。
人間としての総合力はかなりレベルが低い。(自覚しているのが唯一の取り柄)
でもそういう私の方が世の中の仕組みは分かる。
ただ善良で正直で誠実なだけな人間よりも、人の心の裏は分かると思う。
性格の悪さを存分に生かして仕事をしたいなら、福祉じゃないんだろうね、本当は。
優しいだけ、正しいだけの振る舞いは、相手の学ぶチャンスや判断力をどんどん奪っていくだけなので、返って他人を退化させることもあると思うのだ。
優しさとか正しさって純粋すぎて残酷で、極めようとするとただの残酷な凶器。そして狂気でもある。
この人はいつでも優しくて落ち着いてていつでも正しいことを言ってくれるなあ…という安心感なんて、誰にも与えたくない。
そんなん生身の人間である意味ないじゃん。
AIでいいじゃん。
そう思ってるから、わたしは我が子にすら、親がいつでも正しい、という姿勢を放棄している。
お母さんが言うこと、正しくない時もあるからね、と娘には伝えてる。
実際に、仕事をする時に常に心身を整えて置かないと、気がつくと愚痴られっぱなしのサンドバックになる。
そうなると、邪気が溜まって心がどす黒くなり、容易く判断が鈍る。
わたしが疲れてイライラして酷い顔をしてる時、
突然娘に謝られる時がある。
自分のせいで機嫌が悪いって思うんだよね。
あ、違うのよー💦
機嫌が悪いのは、あなたのせいじゃないのよー!
ごめんね🙏
ってひたすら謝る。
母親の一番大事な仕事は、
自分が笑顔で居ることだ。
怠ってはいけないんだな。
自己犠牲をせずに与えられる人になりたいものだな。